闇はこれに打ち勝たなかった!(ヨハネの福音書1:1~15)

 ヨハネの福音書1章を読んでいくと、「神」「ことば」「光」「いのち」ということばが出てきます。私たちは、「イエス・キリスト」を知ることによって、これら全てのことについて目が開かれ、神様の霊によって悟ることが出来ます。
 ヨハネは、この世を「暗闇」と言っています。この世には、多くの悩み、苦しみがあり、人々は出口の見つからない真っ暗な問題の中で光を求めて生きています。誰もが幸せを求め、恵まれた生活をしようと考えているのです。あらゆる人が、人間の知恵によってそれを得ようと努力してきました。しかし、どんなに優れたものが開発されて便利になっても、どんなに国が栄えても、私たちは幸せになるどころか、益々不安材料だけが増えていく、そのような気がします。
 なぜ人々は、幸せを求めているのに「暗闇」の中を歩んでいるのでしょうか。聖書は、「暗闇」の原因は「罪」にある、と言っています。私たちの内にある「罪」が、目的をもって人間を造って下さった全能なる神様から引き離し、私たちの人生の目的を奪い、私たちの生きる力を奪い取っているのです。
 しかし、イエス様について聖書は「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(ヨハネ1:4)と語っています。イエス様こそが、暗闇を打ち砕き、私たちの人生に光をもたらして下さる方です。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)
 イエス様は、私たちを罪の束縛から解放するためにこの地上に来られました。私たちが罪を悔い改め、イエス様を救い主として受け入れる時、今まで断絶されていた神様との関係が回復し、光なるイエス様のことばに従って生きていくことが出来るのです。
 罪を持たない人は一人もいません。
 ある時、姦淫の現場で捕らえられた女性がイエス様のもとに連れて来られました。彼女は、律法に従うと石打ちの刑に処せられるべき女性でした。しかし、イエス様が集まった人々に「あなた方のうち、罪のないものから彼女に石を投げなさい。」と言われると、年寄りから去り、最後にはイエス様ただお一人がおられたのです。
 イエス様の光に照らされる時、誰一人として罪のない者はいません。姦淫の女も、イエス様の光に照らされ悔い改めたことでありましょう。
イエス様は、私たちを暗闇から光へと導いて下さる方です。イエス様は、彼女を赦し、「今後罪をおかさないように」と言われ、そこを去らせました。彼女はイエス様から光をいただき、新しいいのちが与えられました。
 光はやみを打ち砕きます。イエス様こそ、私たちの人生を照らすまことの光です。この方に従って、光の中を歩む信仰生活を送りましょう。

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