バプテスマのヨハネに与えられた使命(ヨハネの福音書1:19~34)

 バプテスマのヨハネの名前は、聖書の中に90回以上も出てくるほど有名で、また重要な人物です。
 人々は、彼を偉大な預言者として認め、彼のもとに集まって来ました。しかしヨハネ自身は、自分のことを「主の道をまっすぐにせよ」と荒野で叫んでいる者の声にすぎない(ヨハネ1:23)、自分にはイエス様のくつのひもを解く値打ちもない(ヨハネ1:27)、と評価しています。
 そして、イエス様が来られると「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1:29)と言って、イエス様こそがメシアであることを人々に紹介します。ヨハネは、徹底して「メシアの先駆者」という自分の立場を貫き通しました。
 彼は、敬虔な両親のもとに「イエス様のことを紹介する」という使命をもって生まれて来ました。母の胎にいる時から聖霊に満たされ、正しい両親のもとで信仰をはぐくみ、神様の時が来たときに彼は自分の使命を果たすために動き出したのです。彼は、聖霊に満たされた人物でした。ですから、どんなに尊敬され、人々にもてはやされても、自分に与えられている使命を決して忘れることはありませんでした。
「あなたがたこそ、『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である』と私が言ったことの証人です。~あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」(ヨハネの福音書3:28~30)
 彼の食べ物は「いなご」と「野蜜」であり、らくだの毛衣を着ていました。そのことを見る時に、バプテスマのヨハネが「自分がどう見られるか」ではなく、ただ「使命を果たす」ことに重きを置いていたことが分かります。彼は、人の目を気にしたり、人の目を恐れたりすることはありませんでした。常に聖霊の力を帯びて、神様に与えられた使命に生きました。彼は、多いに用いられたのです。
 私たちも、バプテスマのように常に聖霊に満たされ、自分の与えられた使命をしっかりと果たすべく、前進していく必要があります。
 聖書には、「御霊によって歩みなさい。」(ガラテヤ5:16)と書かれてあります。
 信仰生活を歩む上で、「出来ない」ことで落ち込むことや、また恐れ、不安が押し寄せて来ることがあります。しかし、私たちが常に御霊に満たされるなら、聖霊様の力によって「御霊の実」つまり「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」を身につけることが出来るのです。
そして、主だけを見上げる時、人を恐れることなく、バプテスマのヨハネのように、自分に与えられた使命を全うすることが出来るのです。
 バプテスマのヨハネは、常に聖霊に満たされ、御霊の実を結び、彼の言動はイエス様のように整えられていました。私たちも、日々聖霊様に満たされるなら、御霊の実を結び、イエス様の証人となることが出来ます。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。