求める者に(ヨハネの福音書3:1~16)

 ニコデモは、パリサイ人であり、またユダヤ人の指導者でした。そればかりではなく、彼は国会議員で、とても金持ちでありました。その彼が、夜中にイエス様のところにやって来て、「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」(ヨハネの福音書3:2)と言いました。
 パリサイ人とは、「モーセ五書(創世記、出エジプト、レビ記、民数記、申命記)」を「神のことば」として研究し、求め、それを行ってきた人達です。特に、指導者はこのモーセ五書を美微細際にいたるまで徹底的に研究し、これをどうしたら行うことが出来るかを細かく砕いて人々に教えるのが仕事でした。パリサイ派の人たちは、日々、モーセの律法を守り行う熱心な人々でした。ですから、他の人から見れば、パリサイ人は立派な見識深い学者に映っていたことでしょう。
 しかし、イエス様はパリサイ人に対し、厳しい目をもって見られていました。「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。~そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」(マタイ23:27、28)
 イエス様は、外見ではなく、心を見られる方です。神様は私たちの奉仕をご覧になるのではなく、本当に心から神様をおそれ、神様を愛し、神様のために犠牲を払っているか、そこを重要視されます。
 ニコデモは、「真理」を求めていました。彼は自分の「偽善」に気づいて苦しんでいたのです。そこで、彼は、イエス様にこそ答えがあると信じて会いに来ました。
 イエス様は「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われ、そのために「水(バプテスマ)」と「御霊(聖霊)」が必要であることを教えられました。特にイエス様は、聖霊の働きによって生まれかわることを強調されました。また、旧約聖書の「モーセが青銅の蛇を上げ、民が癒された」話をし、蛇は「呪われた者」の象徴で、イエス様ご自身も「呪われた者」として十字架にかけられることを示されました。
 私たちは、聖霊様の働きの中で、イエス様を救い主として受け入れることが出来ました。信じる者に、神様の救いが与えられたのです。聖霊様の働きによって、私達の霊的な目が開かれ、古い自分から新しい自分へと造り変えられたことを知りました。聖霊様は、神様を求める者のところに、来て下さるのです。ニコデモは、真理を求めてイエス様のところにやって来、そのことを教えられました。そしてイエス様は「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と言われ、信じる者に、天の恵みが注がれることを話されました。神様は心をご覧になられ、本当に主の救いを求めるものに、聖霊を与えて下さるのです。

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