永遠に渇くことのない生ける水

「~イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』~」(ヨハネの福音書4章1~30)
 
 イエス様は、ガリラヤに行かれる際、わざわざサマリヤを通って行かれました。「わざわざ」というのは、当時ユダヤ人はサマリヤ人を「混血の民」として軽蔑し、嫌っていました。ですから、ユダヤ人は、ガリラヤに行くときには、サマリヤを避けて遠回りするのが普通だったのです。しかし、聖書には「サマリヤを通って行かなければならなかった。」(ヨハネの福音書4:4)と書かれてあります。
 イエス様の「行かなければならなかった」理由が、この4章を見ると分かります。イエス様は一人の女性に会い、救いに導くために、わざわざサマリヤを通られたのです。
 その女性は、人目を避け、日差しのきつい昼〈普通なら、朝の涼しい時に水汲みをする〉に井戸の水を汲みにやって来ました。
 イエス様は、その女性に「わたしに水を飲ませてください。」と話しかけられました。サマリヤの女は驚いて「何故、サマリヤ人の私に水を求めるのですか?」と問います。イエス様は彼女とのやり取りの中で、この地上の水はまたやがて渇きを覚えること(ヨハネ4:13)、そしてイエス様ご自分がいつまでも渇くことのない「いける水」を持っていること(ヨハネ4:14)を教えられました。
 彼女は、「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい」と言いました。彼女は、身も心も渇き切っていたのです。彼女は、5回の結婚生活に失敗し、今6人目の男性と同棲中でした。これが、彼女が人目を避けて昼に水を汲みに来なければならない理由でした。イエス様がそのことを言い当てると、彼女は「この方は預言者に違いない!」と確信します。そしてイエス様に「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来れれるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」と言いました。するとイエス様は「あなたと話しているこのわたしが、あなたの求めているメシヤです。」と答えられました。彼女は、このことを通して、誰を礼拝し、誰に救いを求めていけば良いのかを教えられたのです。かつては、自分の幸せを男性に求めていました。しかし、彼女は満たされるどこか、その心は傷つき、渇くばかりでした。しかし、目の前に「いつまでも渇くことのない、永遠のいのちへの水」を持っておられる方がおられるのです。彼女は、驚き、そして喜び、自分の恥を捨てて、人々にイエス様の存在を伝えに出かけました。
 私たちの渇きを満たして下さる方は、イエス様ただお一人です。私たちはどうしても物質の世界で満たされるこを望みます。しかし、それは一時的なものでやがて渇くものです。しかし、イエス様の与える水は、罪を洗いきよめ魂の渇きを癒してくださり、永遠のいのちへと導く福音です。その喜びは、腹の底から湧きあがりあふれ出るのです。この方が、いつも私たちを見ておられ、必要を覚えるとき、近づいて下さるのです。

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