本物の信仰 永吉昭紀師(中百舌鳥集会所)

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル11:6)
 私たちは「信仰を持っている」と言って奉仕をしますが、その信仰はどこから来たのでしょうか。もし、あなた自身があなた自身の力で信仰を持っているなら、それは「本物」ではなく、神様に喜ばれるものではありません。つまり、あなたから出たものであれば、あなたがする賛美も奉仕も「神様のために」と言ってする奉仕も「本物」ではなく、神様の目から見たら「やっていない」のと同じになるのです。
 ヘブル人への手紙11:6には「信仰がなくては、神に喜ばれることができません。」とはっきり書いてありますが、この信仰は、神が与えて下さる「本物の信仰」です。神様が与えて下さる「本物の信仰」を持って捧げるものこそが、神様に喜ばれるものなのです。
 マルコの5章には、12年もの間、婦人病で苦しんだ「長血の女」が登場します。彼女は「イエス様の着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考え近づきました。イエス様は彼女が着物に触れた途端、ご自身から力が外に出て行ったことに気がつかれました。それと同時に、長血の女は、癒されたのです。彼女は、イエス様ご自身から信仰と力が、彼女の身体に流れて来るのを感じることが出来ました。
 イエス様は「あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。」と言われました。この「信仰」は、神様が、必死に癒しを求めていた彼女に与えられたものでした。
 旧約時代、神様はイスラエルの民を選ばれ、祝福されました。この民を通して、世の人々に神様ご自身を現そうとされました。しかし、民は神様に対する本物の信仰を持ち続けることが出来ませんでした。その結果、民は神様が与えて下さった国を失い、神様を礼拝する神殿を失い、そして祝福を失ったのです。後にイスラエルの民は、ペルシャ帝国の王クロスによって国に帰り、神殿を再建することが許されます(Ⅱ歴代誌36:22、23)が、私たちはこれらすべてを、聖書の歴史書、そして預言書ではっきり学ぶことが出来ます。ユダヤ人は、神様のさばきを嫌というほど経験しました。そして、神殿の建て直しの際、預言者エズラの導きにより、真の悔い改めをし、神のことばに従うことがいかに大切であるかを知ります。
 現在のユダヤ人は、伝道することはしませんが、自分の家庭を「神の民」にし、その民を増やしていくことに力を注いでいます。
 今の時代に生きている皆さんにチャレンジします。「本物の信仰」の内に、神様の力が働かれるとき、私たちの思いを越えた素晴らしいことが起こってきます。どうか、あなたの家庭をクリスチャンにするだけではなく、祈る家庭、愛し合う家庭、隣人をも愛する家庭へと成長させていって下さい。
 霊的に恵まれた教会、そして神様のことばが溢れている教会に集うことは、感謝なことです。教会の土台を、キリストのことばとし、神様に喜ばれる本物の信仰を持つなら、この集まりは長く保ち、成長するでしょう。

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