イエス様こそメシア(ヨハネの福音書5:24~47)

 イエス様は、この地上におられる間、数々の奇蹟を人々の前で行われました。それは、神様の業を行うことによって、人々にご自分こそが罪の束縛から解放し、永遠のいのちを与えることの出来る「メシア」であることを示すためでした。
 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からのいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24)
 「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(5:39)
 ユダヤの人々の持っている聖書は、旧約聖書です。彼らは、この聖書に書かれているメシアを心から待ち望んでいました。そしてイエス様は、しるしと奇蹟をもって、わたしこそが聖書の示す「メシア」だと宣言なさいました。
 レビ記には、いけにえの捧げ物について書かれてあります。イスラエルの民は、自分の犯した罪を赦してもらうために、祭壇でいけにえを捧げました。しかし、イエス様は、自らを罪のなだめの供え物として、十字架の上でいのちを捧げて下さったのです。ですから、イエス様の十字架の贖いを信じた者は、もはや祭壇でいけにえを捧げなくてもよくなりました。なんという素晴らしい恵みでしょうか。私たちはイエス様を信じるだけで罪が赦され、神の子としての特権が与えられるのです。
 律法は、私たちを罪から救うことは出来ません。ガラテヤの3章には、律法は私たちをキリストに導くための養育係だと書かれています。
 「こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」
 私たちには、律法を完全に行う力はありません。律法によって、沢山の罪が示されます。だからこそ、イエス様が必要なのです。律法は、私たちに、救い主が必要であることを教えてくれます。
 私たち人間は弱い者で、常に力の足りなさを覚えます。しかし、私たちの信じるイエス様は全能なるお方です。この方に寄り頼む時に、私たちは力が与えられ、大胆になることが出来るのです。
 イエス様の語ることばには力があります。そのことばを信じ、従っていく時に、素晴らしい神様の御業を見ることが出来るようになるのです。
 「私は、私を強くして下さる方によって、どんなこともできるのです。」(ピリピ4:14)
 しかし、イエス様を受け入れることの出来ない人々に対し、「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」(ヨハネ5、46、47)と言われました。イエス様を信じることは、神様の啓示です。私たちは神様の啓示によって救い主を受け入れることが出来たのです。この恵みと、奇蹟に感謝して一日一日を過ごしていきましょう。

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