イエス様は、全能なる神様(ヨハネの福音書6:1~15)

 ここには、5つのパンと2匹の魚で、男だけで5千人を養ったという奇蹟が書かれてあります。
 当時、イエス様が歩かれると、大勢の群集がイエス様の後をついて来ました。イエス様の語ることば、なされる奇蹟、それらは今まで聞いたことのない、また見たことのない奇蹟ばかりだったので、噂が噂を呼び、大勢の人がイエス様を見にやって来たのです。
 イエス様は、大勢の群衆を見て、「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」とピリポに言われました。イエス様は、ご自分でこれから何をするか分かっておられましたが、ピリポを試して言われたのです。ピリポは、「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」と言いました。これは、ピリポが大勢の群衆と、自分たちが持っているお金の現実を見て考えたものです。彼は、到底無理だと結論付けました。
 神様は、私たちにも時々このような試し方をする場合があります。私たちの力量を超えたことを任せられるのです。それは、奉仕であったり、献金であったり様々です。多くの人は、「私には時間がないし、力もないのでこの奉仕は無理だ」と考えたり、「私には豊かな経済力がないので献金は無理だ」と、すぐに結論付けます。
 イエス様は、ピリポに対し、何を試されたのでしょうか。
それは、どんな時もイエス様に信頼する「信仰」です。何でもお出来になる「神の御子イエス様に期待する心」です。
 イエス様は、少年が差し出した5つのパンと2匹のパンを見て「少ない」とは決して言われませんでした。イエス様は少ない物をも祝福して豊かにして下さる神様だからです。その通り、イエス様が感謝をささげてから座っている人々に分けてあげると、彼らは配られた食物で十分満腹し、あまったパン切れを集めると12のかごいっぱいになりました。イエス様は、人々が欲しいだけ、そしてあり余るほどに食物を与えられたのです。これがイエス様を信じる者に与えられる祝福です。
 私たちは、どうしても自分の量りで物事を考えてしまいます。「これは無理だ」「これは出来ない」と。しかし、イエス様の量りは、私たちの常識を遥かに超えるものです。イエス様にとって、不可能なことは一つもないからです。
 信仰の世界は、自分で考え、自分の出来ることを、自分の力量に合わせて行うものではありません。どんな時でも、どんな事でも、自分には出来ないと思うようなことでも、イエス様に聞き、イエス様の力によって行っていくのが信仰の世界です。
 私たちをご支配されているのは、全能の神様です。そして、私たちを用いたいと思っておられるのも、全能なる神様です。私たちに、思いを起こさせ、実現に至らせて下さるのも全能なる神様です。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2:13)イエス様に心から信頼していきましょう。

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