召天者記念礼拝

「~それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5:18~21)

 どんなに有名な人であっても、金持ちでも、健康な人であっても、かならず死が訪れます。そして、その「死」に対して恐れを持って生きている人が多いのです。
 「死」に対する恐れによって宗教が生まれてきたと言っても過言ではないでしょう。人は何かにより頼みたいという気持ちから宗教を求めて生きています。しかし、私たちの心に平安を与えるような真理を見出すことはできません。
 聖書のことばを通して、はっきりと言えることがあります。それは、この天地を造り、そして私たち人間をお造りになった方がおられるということです。
 この世の中には物が沢山溢れています。そして、その物を作った人が必ず存在します。ですから、私たちが存在するということは、私たちを造られた方がおられるということなのです。聖書には、私たちを造られた方が、「死」について、「人生」について、私たちが造られた「目的」について、明らかにしておられます。
 イエス様は、「死」の恐怖から私たちを解放するために、天からこの地に降りて来て下さいました。「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)とあるように、罪を持つ者は必ず永遠の滅び(地獄)に定められます。しかし、イエス様は、私たちを罪から解放するために、自ら十字架にかかられ、罪の罰を身代わりに受けて下さいました。それゆえ、私たちは罪に定められることなく、永遠のいのち(天国)が与えられたのです。「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)
 ローマの兵隊によって十字架にかけられ、死なれたイエス様は、死の力を打ち破り、3日目によみがえられました。イエス様を救い主と信じた私たちは、もはや死を恐れる必要はありません。イエス様が私たちに与えて下さるのは、天国の平安です。
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)
 イエス様を信じる人は、いつも光に照らされて歩むことが出来ます。
不安は、私たちのこころを真っ暗にします。しかし、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14:6)と言われるイエス様が、私たちの心を照らして下さいます。そして、「死」について「人生」について、私たちの造られた「目的」について、はっきりと神様のお心を示して下さいます。もう恐れることはありません。私たちの歩むべき道を照らすイエス様が私たちと共にいて下さるからです。

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