私たちは神の神殿である

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」(第一コリント3:16、17)
 どの親でも、自分の子どもが生まれたなら、「まっすぐに育ってほしい。」「素直に元気に育ってほしい。」など、様々な願いを込めて名前をつけます。
しかし、子どもは大きくなると、自分の意思で自分の良いと思うことをやり始めますので、なかなか親の思うとおりにはいかないものです。
 私たちの信じるイエス様の名前には、重要な意味があります。それは「神は救い」という意味です。イエス様の地上での働きは、その名の通り、神様の救いを皆に告げ知らせるものでした。
 イエス様の故郷の人々は、「あれはヨセフの子ではないか。」とイエス様の名を軽視しました。ですから、イエス様はそこでは奇蹟を行なわれませんでした。しかし、イエス様を神の子であると信じる者には、多くの奇蹟の業を行われ、神様の栄光を現したのです。
 時に、キリストを迫害する者にイエス様が現れて下さったこともありました。それは、ユダヤ教の熱心さの故にクリスチャンを迫害していたパウロにです。彼は単にクリスチャンを迫害していたわけではありません。神を信じる熱心さの故に迫害していたのです。その熱心さをイエス様はご覧になり、パウロの前に「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒の働き9:4、5)と現れて下さったのです。その出会いによってパウロは心が全く変えられ、イエス様こそが神であり、救い主であることを命がけで伝える者となったのです。
 イエス様の出会いは、私たちの心を変え、生きる目的、生きる意味を知らせてくれます。聖書には、「あなたがたは神の神殿だ」と書かれてあります。神様は、もともと私たちの身体を神様を礼拝する神の神殿として造って下さいました。私たちの身体を通して人々を神に導くためにです。
 アダムの時代に罪が入り、その神殿は壊れましたが、しかし、イエス様の十字架の贖いによって、神の神殿を取り戻すことが出来たのです。
 イエス様は、弟子たちに「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と命令されました。そればかりではなく、悪霊を追い出し、あれゆる病気、あらゆるわずらいを癒すために、汚れた霊を制する権威を授けて下さったのです。
 イエス様は、世界のすべての人を愛され、ご自身のもとに来る人々を様々な束縛から解放し、救いたいと願っておられます。そして、そのために私たちが遣わされているのを忘れてはなりません。
 私たちは神の神殿であり、神様が私たちのうちにいて下さいます。そして、私たちを用いて救われる魂を起こして下さるのです。信じましょう。

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