神様に喜ばれる信仰(創世記22章)

 神様は、人をご自身に似せて造られました。ですから、私たちが聖書を通して神様のご意思を知る時、人が何のために生き、何をゴールに生きているのかが分かるのです。私たちを造られた創造主がおられ、そして、その方が私たちに目的を与え、導いて下さっている、これはすべて目には見えないことです。ですが、この目に見えないことを、真実として受け入れ、信じて実行することを「信仰」と言います。私たちの人生は、信仰を持って見えない方(創造主なる神様)を見ていく人生です。
 旧約の時代、神様に喜ばれる信仰生活を歩んだ人物がいます。名を、アブラハムと言い、神様は彼を通して多くの国民が生み出される(創世記12)と約束されました。しかし、彼が神様によって召しだされた時は、もうすでに75歳で、妻のサラは65歳でした。そして、彼が100歳になった時、待望の約束の子イサク〈慰めの子の意〉が与えられたのです。
 アブラハムはイサクを大変可愛がりました。長い人生の中でやっと授かった約束の子ですから当然のことです。しかし、彼は人生最大の試練を通ることになります。神様は、アブラハムに「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」と言われたのです。それは、アブラハムにとっては信じられないことばでした。何故なら、約束の子を通して多くの国民の父とすると約束して下さってたからです。それでも、彼は神様を信じることを止めませんでした。彼は神様の約束を疑うようなことはせず、必ず、イサクをよみがえらせて子孫を与えて下さると堅く信じたのです(ヘブル11:17~19)。
 アブラハムは決心し、愛するイサクとモリヤの山へ行き、息子を全焼のいけにえとして捧げようとしました。すると、神様が「あなたの手を、その子に下してはならない。~今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。」と言われ、イサクの代わりに雄羊を全焼のいけにえとして与えて下さったのです。
 神様は、アブラハムの全き信仰を喜ばれました。それゆえ、彼は信仰の父と呼ばれるようになったのです。
 私たちにも神様は「信仰」を与えて下さっています。私たちが、心から自分の大切なもの(時間、お金、身体など)を進んで捧げるなら、神様は、必ず祝福をもって私たちにさらに素晴らしいものを与えて下さいます。
 神様は、私たちの信仰の姿勢を見ておられます。私たちは捧げるとき、失ってしまったかのように思うかもしれません。しかし、私たちが神様の約束を疑うことをせず、信仰をもって捧げるなら、アブラハムがイサクを捧げ、多くの国民の父となったように、最高の祝福に預かるのです。

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