へりくだった心で

「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』」(イザヤ6:8)
 分裂したイスラエルの南ユダのウジヤ王(紀元前787~736年)は、52年間、王としてイスラエルを治めました。彼は、神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は神様を求めたので、神様はウジヤとその国を栄えさせました。しかし、ゼカリヤが亡くなると、彼は傲慢になり、祭司しが出来ないと神様が定めた仕事を、自分でしようとしたのです(第二歴代誌26:16~22)。彼が香を炊こうとした瞬間、ウジヤ王の額に重い皮膚病が表れ、彼は死ぬまで隔離され、むなしく一生を終えました。
 彼が、このような最期をむかえることになった理由について、聖書は「高ぶり」と記しています。「しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。」(第二歴代誌26:16)
 頼りにしていた王が突然病におかされ、亡くなってしまった後、イスラエルの民は非常な不安に襲われました。そのような非常事態に、イザヤが祈っていると、彼はイザヤ6章に書かれている経験をしました。彼は、神様の満ち満ちた御臨在の中に入り、天の王座の幻を見ました。それは、想像を絶する聖なる場所でした。その中で、彼は自分の汚れを見せつけられ、打ちのめされます。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」(イザヤ6:5)
 すると、彼のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来て、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭で、彼の口に触れ言いました。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」と。
 イザヤは、このことを通して、神様の贖いの業によって罪がきよめられることを知りました。そして、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」という声を聞いたのです。
 神様は、ご自分の業によって贖い出された者を、聖霊様によって強め、福音を伝えるために全世界へ遣わそうとされています。
 私たちは、罪深い者でした。しかし、神様はイエス様の十字架の贖いによって、不義を取り去って下さり、永遠に神の子として下さったのです。そして、神の子としてこの地で神様の栄光を現すように神様は私たちを召して下さいました。 
 神様は、「だれを遣わそう。」と言われます。無理やりではなく、強制的にではなく、自ら進んで「神様、私ここにいます。私を遣わして下さい。」と進んで出てくる者を待っておられます。神様に仕えるためには、自分がどのような罪深いところから救われ、そして神様にどんなに愛されているか確信を持ち続ける人でなければなりません。
 ウジヤは、傲慢になり、主を求めることを忘れました。しかし、私たちは、「私がここにおります。私を遣わして下さい。」と謙り、常に聖霊様と共に歩む者でありたいものです。信仰を持って主のために働きましょう。

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