罪から解放する救い主として

「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13)
 待降節となりました。私たちは、この期間、救い主であるイエス様の御降誕を感謝しつつ、クリスマスの日を待ち望んで過ごします。
 救い主がこの地に来られるということは、ユダヤ人が切に求めていたことでした。そして今も、彼らは救い主が来られるのを、今か今かと待ち望んでいるのです。しかし、聖書の預言している救い主は、今から約二千年前にこの地に来られたのです。その救い主の名はイエス・キリストであり、その方は、すべての人の罪を背負い、呪われた者となって十字架にかかられました。それは、人々を罪の束縛から救い、十字架の贖いによって神の子とするためでした。イエス様は、呪われた者となって木にかかられるために、このクリスマスの日に天から降りて下さったのです。
 マタイの福音書1章には、アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図が書かれてあります。この系図の中には、イエス様がご降誕されるにあたって何をされるかが分かるヒントが隠されています。
 アブラハムは、神様から祝福された人物でした。しかし彼の人生を見ると、彼の行いがすべて立派であったかというと、そうではありませんでしした。彼が住むところで飢饉が起こり、他国に入らなければならない時がありました。その時に、彼の妻であるサラが美しかったので、王が彼女を気に入って、夫である自分を殺すかもしれないと思い、サラのことを妹と紹介しました。アブラハムは、1度ではなく、そのようなことを2度も行ってしまいました。彼らの間には長いこと子どもが与えられませんでした。子どもが与えられないということは、当時「のろわれた者」とみなされていました。アブラハムは祝福するとの約束をいただいているにも関わらず子どもが与えられないのは、自分の犯した罪のせいだと考えることもあったでしょう。
 ダビデ王は、自分のために戦っている忠実な部下の妻を寝取りました。そればかりではなく、策略をもってその部下であるウリヤを殺したのです。
ナタンという預言者によって罪を指摘され、彼は悔い改めに導かれます。彼はその罪のために自分の息子によって刈り取りをしなければなりませんでした。
 彼らは、人々に尊敬され、その功績はたたえられました。しかし、罪について彼らは解決を得ることは出来ませんでした。その中で、イエス様は、彼らの子孫として、すべての罪の解決をもって生まれて来て下さったのです。「そういうわけで、ちょうどひとりの人(アダム)によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、~それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5章)
 私たちの待ち望んでいた救い主は、全ての罪から解放して下さる、真の神様であるイエス・キリストです。感謝しつつ、過ごしましょう。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。