自分中心ではなく、神中心の生き方

「私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。」(ミカ書7:8~10)

 人は皆、歳をとります。「私は大丈夫。」と健康を自慢している人でも、歳をとるごとに体力は衰えていきます。しかし、私たちの霊的な部分は、たとえ肉体が弱ろうとも、聖書の御言葉によって日々新しい力を得、そして強くなっていくのです
 アブラハムは、75歳のときに神様からの召命を受けました。彼は、歳をとっており、子どももありませんでしたが、神様は、彼を多くの国民の父とすると約束してくださいました(創世記12章)。そして、彼が100歳の時に約束の子イサクが与えられ、神様のことばの通り、彼は多くの国民の信仰の父として、尊ばれています。
 神様のことばに従うことは、私たちにとって祝福です。私たちは神様のことばに従って、十字架を信じ、新しい者とされ、祝福の人生をいただくことが出来ました。それとは逆に、サタンのことばは、私たちの人生を破壊します。神様から背かせ、滅びの道に向かわせようとするのです。ですから騙されてはなりません。
 ミカ書は、神様に背いたイスラエルの民に対し、神様のさばき、そして神様の赦しについて書かれたものです。ミカは、預言者として国、そして政治に対して預言しました。
 今は、国の政治が尊ばれない時代です。政治が尊ばれなくなると、国が滅びでしまいます。そのような危機迫る国が多くあるのを私たちは知っています。
 国のために政治を行うのではなく、自分の欲のために政治を利用する人がいます。心の奥底に何を持っているか、それが大事なのです。心に罪があれば、そこからは良いものは生み出されません(ガラテヤ5:19~21)。自分さえよければ良いという考えは、政治を堕落させ、そして最期には国が立ち行かなくさせてしまいます。日本には少なくとも「武士道」の心が残っています。それは、殿のためには命も惜しまない、殿に忠誠を誓って死ぬという精神です。この心は、外国を圧倒させ、日本は外国から一目置かれるようになりました。日本は、自分が死に、他の人を生かすという精神によって「強さ」を見せ付けたのです。
 聖書には、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24、25)と書かれてあります。イエス様が私たちの罪のために十字架にかかられ死なれたように、私たちも自分に死んで主に従う、という自分中心から神中心に生きる、という御言葉です。
 私たちは座るのも、立つのも主の栄光のために生きます。私たちが、自分中心の生き方を捨て、神様中心に生きる時、神様は私たちに揺るぎない信仰と聖霊の力を与えて下さり、たとえ敵が来たとしても、それに打ち勝つ力を与えて下さるのです。神様は、私たちの光となって輝き、祝福の道へと導いて下さいます。

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