心の検診

 私には、幼い頃からの友だちがいます。親戚で先祖代々の農家の息子。
特に、彼の農園でできる「柿」は有名で、彼の名がブランドとなり、皇室に献上するほどの代物で、知事をはじめ多くの有名人がこの柿を求めてくる程でした。
 先日、久しぶりに彼を訪ねました。すると、彼が「目の手術をした」と近況報告をしてくれました。テレビの画像がはっきり見えなくなり、「老人性の眼病」だと言われて手術をしたそうです。その結果、明るくはっきり物が見えるようになったということでした。術後、一番驚いたのは、自分の顔。なぜなら、自分の顔が、シミとしわだらけだったからです。気づかないうちにすっかり、おいじちゃんの顔になってしまっていたのです。
 私たちの信仰生活も、これに似たところがあるのではないでしょうか。
毎日の信仰生活がマンネリ化して、「これではいけない」と思いつつも、日常の生活に追われて、気づかないうちに神の臨在から離れていくような生き方をしていないでしょうか。
 あなたも、医者のもとで診察をしてもらう必要があるかもしれません。私たちの魂の医者は、「イエス様」、そして、診察は「神の言葉」です。
今、あなたは、信仰によって歩んでいますか。ヘブル人への手紙11章6節には、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」と書いてあります。
アブラハムは、「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創世記22:2)と神様に言われました。そして、彼はすぐに3日をかけて指定されたモリヤへ行きました。そこで祭壇にたきぎを並べ、イサクを縛り、いけにえとして殺そうとしたのです。その時、神様は彼の信仰を見て、イサクの代わりに雄羊をいけにえとして与えました。アブラハムの信仰とは、「神様は、『イサクから生まれる者が、祝福をうける。』と約束されたから、例えイサクが死んだとしても、よみがえらせてくださる。」という神様への100%の信頼です。これが神様が喜ばれる信仰です。
 あなたは、「救いの定理」「救いの原理」に堅く立っていますか。
数学、物理、化学といった学問の世界には 、定理、法則、原理と言った決まりごとがあります。これを用いませんと、計算が難しく、答えを導けません。
聖書には、「罪と死の原理」(ローマ書7:15~21)、「いのちの御霊の原理」(ローマ書8:2)が書かれてあります。イエス様の十字架の死と復活、これこそ私たちに救いをもたらした原理なのです。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」(ガラテヤ書5:24)
周りの状況に影響されることなく、心を点検し、信仰に立って前進しましょう。

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