とりなしの霊を注ぐ(マタイ15:21~28) 富高美和

 母の日は、私たちを生み、育ててくれたお母さんに感謝すると共に、私たちを母の胎内で形造って下さった神様の業をほめたたえ、感謝を捧げる日です。
 神様は、母親を「こどもの為にとりなす存在」として特別に見られています。「とりなし」とは他の人の代わりに神様に祈ることです。この母親には、ひどく悪霊につかれている娘がいました。娘の問題であるにも関わらず、イエス様に対して「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい」「私を助けて下さい!」と自分の問題としてお願いしている姿は、イエス様の十字架での祈りを思い出します。イエス様は、十字架上で「彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているの分からないのです。」と私たちのためにとりなして下さいました。そして死を打ち破って三日目によみがえったイエス様は、今も天において私たちのためにとりなして下さっています。
 愛する娘のために、この母親がしたことは

①イエス様のあとをついて行き、叫び続けた
母親は、娘のために決してあきらめませんでした。彼女は、真剣に救い主イエス様に叫び求めました。子どものために、本当に心を注いで祈ることが出来るのは、母親です。

②冷たく断られても、更にイエス様の前にひれ伏した(15:24,25)
無視されても、ふさわしくないと言われても、イエス様を主権者として認め、イエス様にしか救いがないことを示した。
イエス様は、私たちのとりなす姿と、その信仰が本物であるかをみておられます。

③神様の愛と、恵みに対する信仰告白をした(15:26,27,28)
自分に、価値がないことを認め、それでもこぼれる恵みに預かりたいという熱心さを示し、またそれと同時にイスラエルの恵みが異邦人にまで流れるという預言的な宣言をしています。
彼女の信仰のゆえに、娘は完全に癒されました。

イエス様は、この母親を見ておられました。何を見ておられたのでしょうか?それは、彼女の持つ信仰によって、神のことばが実現するのを見てられたのです。

「わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」(エレミヤ1:1~12)

 神様は、母の胎内に形造る前から、私たちに、そして私たちの息子娘にも計画を立てておられます。そして、その与えられた人生において、神の約束のことばが実現するのを見ておられるのです。
 今日、あなたが母親として選ばれていることを知りましょう。そして、神様は、息子娘のために祈るという「とりなしの霊」を特別に母親に注いでおられること、それを賜物として用いることが出来るということを覚えていきましょう。神様は、あなたに、あなたの子どもに、家族に約束のことばを実現しようと見ておられるのです。そのタイミングは素晴らしく、神様の栄光を仰ぎ見ることが出来ます。信じ、祈り続けましょう。

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