正しい日の過ごし方(詩篇90篇) 富高美和師

 モーセは、神様に「自分の日を正しく数えることを教えてください。」と願いました。現代訳には「どうか、残りの日を正しく数えることを教えて、心に知恵を与えて下さい。」と書いてあります。

私たちは「時」について2つのことを知る必要があります。
①(1節~2節)神様は永遠の存在であり、時は神のものであること
②(3節~6節)永遠なる神様と比べると、人間に与えられた「時」には期限があり、非常に短いということ。

 私たちに与えられた人生は、永遠に比べたら一瞬の出来事です。しかし、この地上での歩みが、後に来る永遠の世界に多大な影響を与えることを私たちは知っています。この地上で、私たちが何を信じ、何を見て、何のために生きるかはとても重要なことです。
 モーセは、神様が与えて下さった「日」を無駄にしたくないと切に願いました。何故なら、彼は約束の地が与えられていたにも関わらず、イスラエルの民と共に40年もの間荒野を放浪するという、本当に無駄な時間を過ごさなければならなかったからです。
 7節~9節には、神様の怒りとさばきについて書いてあります。イスラエルの民は、神様の時を悟らず、その声に聞き従うことが出来ませんでした(民数記13、14章)。約束の地に偵察隊を送り、攻め上ろうとした際に、イスラエルの民は、不信仰によって踏み出すことが出来なかったので、結局、神の怒りによって、民は40年間さまようことになり、不信仰を告白した者は荒野で死に、約束の地に入ることが出来ず、モーセは、神様の御声に背くということがどれだけ無駄な日を過ごし、むなしいものであるか、聞き従うことがどれだけ大切かを思い知りました。
 13節~15節には、モーセが荒野の放浪で叫んだ祈りが書かれてあります。信仰生活の中でも、神様の時を悟らず、御声を聞くことの出来ない者は同様に叫び「神様、いつまでですか。私をあわれんで下さい。」と言いますが、神様はいつもイスラエルの民に語っておられたように、すでに私たちにも聖書のことばを通して語っておられるのです。神様の声は小さくはありません。「主の声は、力強く、主の声は、威厳がある。」(詩篇29篇)イスラエルの民は、「約束の地を与える」と語られた神様の声を聞いていましたが、神様を信頼せず、時を悟らず、御声に従わなかったのです。主の約束を信じ、信仰をつらぬき通したヨシュアとカレブだけが、約束の地を勝ち取ることが出来ました。モーセは、「私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。」(17節)と、残された日にちを正しく数え、無駄な日を過ごすことなく、確かに実を結び栄光を現す日を過ごすことが出来るようにと切に願ったのです。
 正しい日の過ごし方とはなんでしょう。その答えは詩篇103篇にあります。主の良くして下さったことを何一つ忘れることなく賛美と礼拝を捧げる生活です。失望し、落胆する生活は、無駄な日を過ごすことです。そうではなく、イエス様の十字架の愛に感謝し過ごします。そのために私達は造られました。

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