永井信義師(東北中央教会牧師)
聖書箇所:ヨシュア記2章8~14節
神様はどんな人でもあっても用いられ、いろんな人をいろんな方法で救ってくださいます。
マタイの福音書1章の男性の目立つ系図の中に、ラハブという売春婦の女性がいます。キリストに至る系図には、異邦人であったり、ダビデの姦淫の末に生まれた子などが入っているのです。中でもラハブはへブル人への手紙11章に信仰の偉人達の中に入れられているのです。なぜ、彼女がその中に入ったのかを彼女の言動から見ていきたいと思います。
①「主は、上は天、下は地において神であられるからです。」(11節)
彼女は敵国の人でありながら、イスラエルの神様は天と地を作られた主であり、世界を支配されている方だと信じ、このように告白しました。
②「主がこの地をあなたがたに与えておられること―――私は知っています。」(9節)
神様の御言葉、約束は必ず成就すると信じていました。カナンの地はアブラハムに与えられた地であると伝えられており、約束は成就すると信じていました。神様の約束は成就するのです。私たちはすでに受けた物と信じるべきです。救い、平安、守りはすでに与えられているのです。それらの告白の後にラハブは家族の救いをも求めています。「あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)家族も救われると彼女は信じました。神様は救われ、また裁かれる方であることも信じていました。
③ 「彼女は窓に赤い紐を結んだ」(18~21節)
「赤い紐を結ぶだけで救われる」と信じることのできる人はいるでしょうか?疑う人のほうが多いのではないでしょうか?これは福音と同じです。赤い紐(赤は救いのイメージ)を結ぶように、ただ、イエス・キリストを信じるだけで救われるのです。行いによって救われるのではなく、信仰が行いを生み出し、ラハブは赤い紐を結んだのです。
遊女ラハブが救われたように、私たちはどんな者でも恵みによって救われ、恵みよって万民祭司となり、何をもはばかることなく神様の前に近づく特権が与えられているのです。ラハブの行いを通して、彼女に属するすべてのものが救われたように、あなたを通して神様はあなたに属するすべての人を救われるということを忘れてはなりません。