揺るがない信仰(ダニエル書6:1~28)

富高美和師

 バビロン捕囚後、ダニエルは異国の地でその国の王に仕えていました。イスラエルの民が偶像礼拝、皇帝崇拝の中におかれている中、ダニエルは、ゆるぎない信仰により、真の神様の栄光を現しました。
 とても不利な環境(金の像や王様を拝まなければ殺されるような)で、何処彼はそのような信仰を持つことができたのでしょうか?私たちは、彼に揺るがない信仰があったから、恐れることなくいつも通りに祈ることができたのだと考えます。しかし、その逆で、ダニエルの信仰は、毎日の礼拝の中で、神様から与えられたものなのです。彼は、賛美と祈りの中で、神様のことばを聞きました。それによって揺るがない信仰が養われたのです。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)
 礼拝とは、神様との交わりです。「彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」彼は、神様に感謝を捧げ、賛美し、祈り、神様のことばを聞いていました。常に神様との交わりがあったのです。
 神様の望んでおられる礼拝は、黙示録4:1~11にあります。そこでは四つの生き物と24人の長老は昼も夜も絶え間なく神様を賛美し礼拝している姿を見ることが出来ます。イエス様はマタイ6章で「御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」と望みました。私たちが、天で行われていることを地でも行う時、第二歴代誌5:1~14にあるように、神様の御臨在が現われ、天と地が一つになるのを見るのです。絶え間ない交わりこそが神様の望みなのです。
 彼の日々の礼拝は、神様の望んでいた礼拝でした。礼拝する時、天と地が一つになり、神様の支配が地を覆いました。「私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、」天の御国が下ったので、獅子も神様の許しなしに彼を襲うことが出来なかったのです。天の御国は神が全てを治めておられ、唯一の主権者です。神の支配がこの地にある時、私たちはすべてのものから守られます。また、天の御国が下ったので、彼は、全き愛に満たされました。そこには恐れがありませんでした。「全き愛は恐れを締め出します。」(第一ヨハネ4:18)ダニエルは、礼拝(交わり)の中で神様のことばに励まされ、強められ、恐れを締め出すことが出来ました。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」(ダニエル10:19)
 彼の神様に信頼する心(礼拝)は、神様の栄光を現しました。(ダニエル6:26~28)礼拝する時、天と地が一つにされ、神様の栄光が私たちを覆います。揺るがない信仰を得るため、礼拝し続ける者でありましょう。

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