光に照らされる ヨハネの福音書 8章1~12節

高森博介師

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」ヨハネ8:12

 先日、大阪の茨木キリスト福音教会に奉仕に行く際、大阪在住の自衛隊時代からの友人に会う機会がありました。10年前に私を訪ねて宮崎に来たことがあり、福音も語っていましたので、礼拝に誘っておりました。彼は溶鉱炉の修理する会社を継ぎ、最近まで会長として就任していましたが、糖尿病の合併症で失明し、会長職を退き、顧問として働いているそうです。たくさんのお金を持ってはいますが、失明したので人生の楽しみはないと言っていました。しかし、「今はイエス・キリストとお会いすることだけが楽しみだ」と語っていて、肉体の暗闇の中にあって、まことの光に出会ったのだと信じます。
 姦淫の現場でとらえられた女の心には、石打ちの刑に処せられるということで、絶望と死しかありませんでした。しかし、イエス様がパリサイ人と律法学者たちに「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われた時に、イエス様は光を照らされたのです。彼女の罪を問い続けた人々には、彼ら自身の持っている罪をその光によって照らし出し、罪を犯した女には罪の赦しという光が与えられたのです。人生の再出発は、イエス様の光に照らされる時です。光に照らされる時に罪を認識し、その罪から離れ、悔い改め自由になることができるのです。
「ラザロと金持ち」ルカ16章19~31節の例えで、イエス様は死後の世界に光を当てられました。死んだ後に起こる天国と地獄を示されたのです。今日では、医学界の著名な方々も天国の存在、死後の世界があるということを話しています。ですから私たちはどんな困難な状況の中にあっても永遠のいのちという希望を持つことができるのです。
 神にとって不可能なことはないのです。イエス・キリストは道であり、真理であり、命なのですから、光に照らされ従っていくときに永遠の希望を持つことができるのです。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。