「感情か信仰か、利害か愛か。」

髙森博介師

 ベトナム戦争の敗戦で混乱したアメリカを天皇が訪問した際の出来事。アメリカは天皇が非人道的な原爆投下被害の謝罪を求めに来るのではないかと心配していたそうです。しかし、天皇が、戦後日本の食糧難をアメリカが支援してくれたことに対する感謝の意を表したことに大きな驚きを覚えました。その時代は敗戦国の天皇の訪問などは新聞などのトップで扱われることはなかったのですが、この記事は多くのメディアで取り上げられ、新聞でも一面を飾りました。
 過去の失敗や悪いことを取り上げることは簡単です。大切なのは相手が自分にどれだけの良いことをしてくれたのかを心にとめることです。私たちは神様がどれだけ良いことをしてくださったかに心を向けていきましょう。
 神様は天と地を私たちのために創造され、人を神の栄光を現すために造られました。そして、私たちのすべてのことを知っておられます。(詩篇139:1~18)
 人生に影響を与えるのは周りの状況ではありません。「心」です。病気の苦痛や借金のために自殺するのではなく、「心」が耐えられなくなって死を選ぶのです(箴言18章14節)。
 神様の栄光を現すためには、神様の霊感によって書かれた御言葉に従うことです。神様の言葉にいのちがあるからです。
 イスカリオテのユダは裏切りました。彼の最後は自殺でした。全能なる神様なら、なぜ彼を救うことができなかったのかと私は長い間疑問を持っていましたが、神様が完全なる自由意思を人間に与え、悔い改めのチャンスがあったにもかかわらず、彼がそれを選ばなかったのだと知ることができました。マタイの福音書26章20~25節を見ていくと彼は野心家で、盗人であり、お金にしか心が向いていなかったことがわかります。対照的に香油を注いだ女は、御言葉を信じ、弟子たちよりも先に、十字架の救いを受け入れ、純粋な愛をもって神様の栄光を現したことを見ることができるのです。(26節)
 ユダは憤慨しイエス様に罪を指摘されましたが、女はその信仰を喜ばれ、今日までその信仰が讃えられています。
 私たちも聖霊様の助けをいただき、この世の感情や利害に流されず、どんな時にも御言葉に従う人生を選び取っていきましょう。

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