子どものように(マルコ10:13~16)

富高美和師

 イエス様のところに、人々が子ども達を連れて来ました。親が自分の子どもを祝福してほしいと思っての事でしょう。しかし、それを見ていた弟子たちはそれを叱って、妨げようとしました。なぜでしょう。それは、当時のイスラエル社会では、女性や子どもは数に数えられないくらいの立場でしたので、弟子たちの目にはその光景があまり良いものには映らなったのでしょう。
 イエス様は、反対に大人である弟子たちを叱って、子どもたちに自分のもとに来るように言われました。そして「神の国は、このような者たちのものです。」と宣言されました。これは、子どもには罪がなく天国に入れる資格があるということを言っているわけではありません。どんな小さい子どもでもアダムが罪を犯した時から、その罪の性質は引き継がれており、イエス様の十字架の贖いによってしか罪の赦しは与えられません。
 これは、子どもに特別に与えられたギフトについて語っています。

①子どもは、自分が出来ない時に、父親に頼ることを知っている。
(罪の問題は、父なる神様に頼ることによって解決する。)
「彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。」(詩篇34:17)
ダビデは、こどものように天の父に頼ることを知っていました。

②子どもは見えないものを疑わないで信じることが出来る
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20:29)
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(ヨハネ11:40)

③素直に喜ぶことが出来る。
「プレゼントをあげるね」と言えば、まだもらっていなくても喜び、その日を待ち望むことが出来る純粋さがある。
「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)

 イエス様は、子どもたちを抱き、彼らの上に手を置かれて祝福されました。
この「祝福」とは「良いことを話す」という意味です。イエス様は、御自分のもとに来た子どもたち一人ひとりに、神様の愛を語り、希望溢れる計画について語られたのでしょう。
 私たちが子どものように、神の国を受け入れ、天の父に信頼していくなら、私たちは、神の子としての歩みが約束されているのです。(ヨハネ1:12)

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