切なる願い

富高尚師

 「ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」(ローマ1:15)というパウロの言葉を見ると、パウロの熱心な伝道に対する思いが伝わってきます。特に「ぜひ」という言葉は、とても強い意味のギリシャ語が使われていて、「切なる願い」をもって伝えたいとパウロは言っているのです。
 しかし、不思議なことに「ローマにいる人々」とは、未信者ではなく、福音によってイエス様を信じて救われたクリスチャンたちのことなのです。まだ、救わていない同胞であるユダヤ人や異邦人に対して返さなければならない負債を負っているとまで感じていたパウロが、なぜ、ローマにいるクリスチャンたちに切なる願いをもって「福音」を伝えたかったのでしょう。それは、ローマのクリスチャンが正しく「福音」を理解していなかったためです。
 第一に、「福音」は神の力であって、人の力ではないということを理解していませんでした。福音は、人間の努力や情熱や熱心によって成し遂げられるのではなく、神の力によってのみ成し遂げられるものです。「あれをしなさい。これをしなさい。」また「あれはしてはいけない。それはやめなさい。」という人間の力の入る余地はありません。信じるすべての人にとって、救いを得させることが出来るのが福音であり、それをなすことができるのは神の力だけなのです。
 第二に、「福音」のうちには「神の義」が啓示されているということを理解していませんでした。イエス・キリストが私たちの罪のために死なれ、葬られ、三日目によみがえられたという福音を信じるとき、私たちは、その信じる信仰によって「義」とされたということです。意識する、しないに関係なく、信じたと同時に「義」とされたのです。私たちが「義」となるために何かするのではなく、信じた者はすでに「義」とされているのです。たとえ、何の働きもない者であっても、神の義は、信仰によって無条件に与えられるのです。(ローマ4:5)
 私たち救われて、クリスチャンとなった者が正しく福音を理解し、「神の力」と「神の義」について知るなら、「信仰に始まり信仰に進む」という喜びに満ちた信仰生活を送ることができます。まず私たちが「福音」を正しく理解し、そして本物の「福音」を人々に伝えていきましょう。

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