収穫の時を待つ

富高美和師

 「~その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」(マタイ13:1~23)
 この「種まきのたとえ」に出てくる種とは、福音と神の御言葉です。そして、それぞれ蒔かれた地は私たちの心を表します。

①道端に落ちた種(道端は、頑なな心)
種が落ちても、悪い者(ルカの8:12では悪魔)がやってきて持ち去っていく。悪魔の目的は、私たちが信じて救われることのないようにすることである。福音を聞いても、自分には無関係と思わせる。

②土の薄い岩地に落ちた種(すぐに芽を出すが、根を張らず枯れる)
しっかりと神様につながり、神様の言葉に根差してないので、試練やサタンの攻撃に耐えられない。柔らかい食物(御言葉)をこのみ、硬い食物を好まない。(へブル5:12~14)結果、成長しない。

③いばらの中に落ちた種(神様以外のものに惑わされる)
神様以上に大切にしているものが沢山ある。(人の目、富、快楽など)
それが邪魔して、霊的戦いにおいて勝利を得ることが出来ない。

④良い地に落ちた種(正しい良い心で御言葉を聞く)
「それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」(ルカ8:15)
御言葉にしっかりと根差した信仰。御言葉の深みまで導かれ、神様の計画(結末)を知っているので、試練に耐えることが出来る。
その揺るがない姿は、人々に希望を与え、その人の成長を通して神の国をこの地に広げる。そして、多くの実を結ぶことが出来る。

 神様は、人々が御言葉をしっかり受け入れ、神様の手によって育ち、霊的成長をとげ、多くの御霊の実(ガラテヤ5:22、23)を結ぶことを望んでおられます。「~それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」(第一コリント3:6~7)
 私たちは、御霊の実を結ぶたけではなく、大事な収穫の時を待ちます。
「実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」(マルコ4:26~29)
 収穫の時とは、教会時代の異邦人の信者の数が満ちた時、神様は御使いを送って信者を刈り取ります。これが携挙と言います。私たちは、ただ良い地として成長するだけでなく、この収穫の時に望みを置くことが出来るのです。

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