「遊女ラハブの信仰」

富高尚師

 へブル人への手紙11章には、その信仰を称賛された多くの旧約時代の偉人たちが記されています。アベルから始まり、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセと神様に愛され、神様と共に歩み、驚くべきしるしと奇蹟を行った、神様の選びの器たちです。しかし、その中に、わざわざ「遊女」と記されたラハブという女性が記されています。当時のユダヤ人から見れば、遊女や取税人などは地位や身分の低い、むしろ見下されていた人たちです。しかも、ラハブはカナン人でユダヤ人の忌み嫌う異邦人でした。
 それなのに、なぜ、信仰の偉人たちに混じって「遊女ラハブ」の名が記されているのでしょうか。それは、彼女が「偵察に来た人たちを穏やかに受け入れた」からだというのです。
 ラハブは、神様がイスラエルの民に約束の地として与えたカナンの地のエリコの町に住んでいました。そこに、ヨシュアがその町を偵察するために遣わした二人の斥候(スパイ)が来たのです。彼女は命がけで二人をかくまいました。見つかれば、自分も家族も殺されていたでしょう。それなのにラハブはなぜ、二人の斥候を命がけでかくまったのでしょうか。
 ラハブは、かくまった二人に「あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」と告白しています。(ヨシュア2:11)彼女は、イスラエルの民がどのようにしてエジプトから脱出し、彼らの信じる神様が、どのようにカナンの地まで導いてこられたかを聞いていたのです。決して自分が奇蹟を体験したのでも、しるしや不思議を実際に見たのでもありません。しかし、イスラエルの民の信じる神様が真の神様であることを信じたのです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11:1)また、「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)
 ラハブは、その信仰によって、からだを殺しても、たましいを殺せない人たちを恐れずに(マタイ10:28)、偵察に来たふたりの斥候を命がけでかくまうことが出来たのです。さらに神様はその信仰を喜ばれ、報いとして、異邦人であり、遊女であった彼女をイエス・キリストの系図に加えてくださるという、驚くべき恵みと祝福を与えて下さったのです。(マタイ1:1~6)

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