喜びが満たされる(ヨハネの福音書15章11節)

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」(ヨハネの福音書15:11)

 ここでイエス様は、「わたしの喜びがあなたがたのうちにある」と言われました。イエス様の内には常に喜びがありました。その喜が、私たちの内にも満たされるために、重要なことを話して下さいました。
 ここでは「これらのこと」と書かれてありますが、15章をみていくと何のことであるかが分かります。
 「わたしはぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」
 神様は、これらの話しを通して、①聖められること。また②神様にとどまり続けること。を語られ、その結果「喜びが満たされる」のだと教えて下さいました。
 「わたしはぶどうの木」の「わたし」とはイエス様のことであり、「農夫」とは神様のことです。神様は、農夫として実を結ばないものはそれを取り除かれます。しかし、神様は、私たちのことは切り捨てず、イエス様の枝で実を結ぶ者として、残して下さいました。これは、ただ神様の一方的な哀れみです。神様は、哀れむばかりではなく、私たちに対し、「実を結ぶ者」として認め、期待して下さっているのです。なんと素晴らしいことでしょう。
 神様は、もっと多くの実を結ぶために刈り込みをして下さいます。刈り込みとは「試練」のことを現しています。
詩篇の24:3、4には、「だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。」と書かれてあります。①神様は試練を通して人々を聖め、聖別された人を祝福して下さるのです。
 神様は私たちに「神の国とその義とをまず第一にしなさい。」(マタイ6:33)と言われます。それには多くの犠牲が伴います。しかし、それを守ることこそ、祝福を受ける秘訣なのです。「そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33) また、枝であるイエス様につながっていなければ実を結ぶことは出来ない、ということを覚えていかなくてはなりません。イエス様によって救われ、イエス様と共に死に、イエス様と共に復活した者として生かされているのです。私たちはイエス様と一体となったのです。
 ②イエス様の内にとどまっているなら、多くの実を結ぶことが出来ます。これらのことを守る時に、あなたの内にイエス様による喜びが満たされ、祝福された信仰生活を送ることが出来るのです!!

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