喜びに満ちた信仰生活のために

富高尚師

 今年の年間聖句は「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」です。ぶどう酒は、「喜び」の象徴です。今年一年、主にあって、喜びに満ちた一年にしていただきたいと願います。そのためには、クリスチャンとしての基本的な信仰生活の土台を確立する必要があります。そこで、ローマ書12章1~2節より学びます。
 まず第一に、クリスチャンとしての礼拝の姿勢は、自分自身を主に捧げることです。「そういうわけですから」と12章の初めに書かれているのは、11章までに、なぜ、私たちは自分を捧げなければならないのかについてその理由が書かれているからです。私たちは、自分の努力ではなく、ただ信仰によって、一方的な神の憐みのゆえに、罪赦され、きよめられた者です。汚れた器であった私たちが、きよめられて、神様のために、主の栄光を現わす聖い器として用いられる者へと造り変えられました。私たちは、代価を払って買い取られた存在であり、今は主の所有とされた者です。神様は、ご自身の栄光を現わすために、私たちのからだを必要とされているのです。神様のものである私たちは、神様のことばを100%正しい(詩篇119:128)と信じて従う決心をしなければなりません。
 次に、「この世と調子を合わせてはいけません。」ということです。この世のものがすべて悪だという意味ではありません。罪に堕落したこの世の流れに流されて、神様のみこころとは違った方向に流されないようにということです。この世の価値観に妥協し、この世のならわしやしきたり、流行といったものから自らを聖別することです。この世に自分を合わせて生きる生き方は、世の心づかいや思い煩いで、心配事が絶えません。自分の利益が優先で、自分の利益にならないことはしません。他人のことがいつも気になり、自分と比較しては愚痴とねたみと嫉妬の毎日で、争いごとが絶えません。これはもう、神様の栄光を現わす生き方とは、まったく逆の生き方です。
 私たちは、「心の一新」によって自分を捧げ、神のことばに100%従う決心と、この世の価値観に惑わされることなく、この世と妥協することなく、聖書の価値観に立ち、自らを聖別して生きる決心をしなければなりません。この世は、ますます個人主義に向かっています。自己中心の世界です。強い者が良い、頭のいい者が良い、お金のある者が良い、有名であることが良い、個人の権利が守られることが良いという考えが支配的です。しかし、聖書はそのように言ってはいません。私たちが、心を新たにするなら、聖霊様が私たちを変えてくださり、「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるかを見分けられるようになります。」(新改訳2017)神様の喜ばれることを私たちが行う時、私たちの内も喜びで満たされるのです。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。