互いに助け合う喜び

富高美和師

(ローマ15:1~6)

 教会は、互いに助け合う霊の共同体です。私たちの中には、信仰的に強い人と弱い人、肉体的に強い人と弱い人、経済的に豊かな人、そうでない人がいます。その中で、神の子である私たちは、強い者が弱い者を助け、励まし合って一つ思いとなり、神の国のために働きます(ローマ15:1)。
 パウロも、互いに助け合うことを勧めています。ローマの16:1、2にケンクリヤの教会の女性執事フィベの名前が出てきます。彼女は教会の貧しい者を助け、パウロ自身も彼女によって助けられました。彼女は、パウロからローマ人への手紙を託され、コリントからローマにその手紙を運ぶ重要な役割を担いました。直線で見ても約千キロの距離、とても大変な旅だったことでしょう。しかし、一人では大変だと思うことも、助けがあれば、神の国ための大きな働きを全うすることが出来るのです。神様は、教会の人々が互いに助け合い、励まし合うことによって神の国のために前進することを望んでおられます。
 助けるとは、「隣人を喜ばせ、隣人の益になること、徳となることをを求める」ことです。どのようにして、隣人の喜ぶこと、益となり徳となることが分かるでしょう。それは、隣人と交わり、その人の必要を聞いた時に知ることが出来ます。そして、祈りの課題を聞き、共に祈るです。祈りが何の助けになるだろうかという人もいます。しかし、祈りは全能なる神様の御手を動かします。なんと大きな助けでしょうか。私たちは、イエス様によって助けられました。滅びの穴に落ち込もうとしていう私たちを、イエス様が十字架の贖いによって救って下さったのです(ローマ15:3)。私たちは助けられたという感謝の心があるので、他の人を助けることが出来るのです。
 聖書は、私たちに励ましを与えます。何故なら、聖書は私たちに希望を与えるために書かれたものだからです(ローマ15:4)。アブラハムは、約束の言葉をいただきました。しかし、その実現を見るまでには大変な時間と忍耐を必要としました。神様は必ず約束を守られる方。約束通り、アブラハムは多くの国民の父と呼ばれました。「~必ずわたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる。」(イザヤ55:11)私たちは、聖書を読む時、希望が与えられます。
 パウロが言っている「励まし」は「聖霊」をあらわす言葉と同じ意味(そばにいて助けてくれる)の言葉が使われています。私たちは、忍耐していると心が疲れます。その時に「頑張って!もう少し!」と励ましてくれ、目標を思い起こさせてくれる人がいることは幸いです。私たちはイエス様が来られるその日まで頑張ることが出来るのです。「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいてるのを見て、ますますそうしようではありませんか。」(へブル10:25)
 私たちの思いを一つにして下さるのは聖霊様です。私たちが、互いに助け合いながら前進する時、主の御名がほめたたえられるのです。(ローマ15:6)

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