復活の主を信じる時

(ルカの福音書24:13~53)

富高美和師

 今から約2000年前、イエス様は十字架にかかり死なれましたが、死の力を破り蘇られました。この事実をどれくらいの人が信じているでしょうか。
 「ちょうどこの日」とは、イエス様が蘇られた日です。二人の弟子が「空っぽの墓」について話しながらエマオという村に行く途中、イエス様ご自身が近づかれて共に歩いておられました。しかし、弟子たちは復活されたイエス様であることに気づきません。何故でしょうか。それは、二人の目がさえぎられていたからです(24:16)。では、何にさえぎられていたのでしょう。それはイエス様が言われていますが、「預言者の言ったすべてを信じない鈍い心(24:25)」です。イエス様は、あらかじめ「キリストは、必ず、そのような苦しみ(十字架)を受けてそれから彼の栄光に入る」と言われていました。しかし、弟子たちはそれを信じない鈍い心を持っていたので、復活の主が共にいて下さっているにも関わらず、気づかないというイエス様を悲しませることをしてしまいました。私たちに対しても、神様はあらかじめ聖書のことばをもって教えて下さっています。天地創造から世の終わりまで、また罪の始まりから、救いの達成まで。しかし、多くの者がそれを信じる心をもっておらず、人生に何の意味があるだろうと考えます。クリスチャンであっても、問題だけに目を止めてイエス様がそばにおられるのに気づかないでいるのです。この二人の弟子も自分でこの先何をしてよいか分からずエルサレムから離れる途中でした。しかし、イエス様は、本当の愛を持って、根気強く、彼等に聖書全体の中で、ご自分について書いてある事柄を解き明かされました。もし、彼らを追い詰めるような言い方だったら、イエス様を引き留めることはしなかったでしょう。イエス様があまりにも素晴らしい真理を語り、愛をもって励まして下さるので、弟子たちはもっと一緒にいたいと思ったのです。私たちのイエス様は、心からの愛をもって私たちを励まし立たせて下さるお方です。彼らと食事をし、イエス様がパンを祝福して裂いて彼らに渡された時、彼らの目が開かれ、復活したイエス様だと気づきました。そして、イエス様と交わっている間中、彼らの霊が燃えていたことに気づかされたのです。御言葉の真理を知る時、私たちの心は元気になり、力を得ます。何故なら、イエス様の言葉は私たちの霊を生かすいのちのパンだからです(ヨハネの福音書6:35)
 その時、すでにイエス様の姿は見えませんでしたが、彼らは復活の主に出会い、変えられました。イエス様は今も生きていて働かれる神様です。この復活のイエス様を信じる時、私たちには力が与えられるのです。この2人の弟子たちは急いでエルサレムへ帰りました。心と考え、行動が変えられたのです。
 イエス様は弟子たちに再び現れ、御言葉の成就と約束の賜物について話され祝福されました。弟子たちは、それから喜びに満たされ、毎日宮で主をほめたたえる者へと変えられました。復活の主は生きておられます。信じましょう。

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