献金の恵み

高森博介師

 私は、55年前救われた当初、献金はお賽銭くらいにしか思っていませんでした。ある時、什一献金へのおすすめがありました。当時、自動車事故を起こし、その修理のために3ヵ月分の給料を会社から前借していました。ですから、さすがに献金しなくていいのではないかと自分で納得し、確証を得るために、賛成してくれるような優しい人を選び、事情を説明し、「献金をしなくていい」という答えを待っていました。しかし、その方からは「献金はするべきだ」という反対の答えが返ってきたのです。その後、献金は神様から与えられたものの一部を神様にお返し、用いていただくことだと知り、捧げたときに仕事も祝福され、はじめより10倍近い額を献金できるようにまで祝福されたのです。

1.唯一神様が試してみなさいと試されてること(マラキ書3章7-10節)
ユダヤの民が十分の一を捧げるというおきてを守らず災いにあったというのです。そして、十分の一の捧げものをもって神のもとへ帰ってくるならばあふれるばかりの祝福を与えると語っておられます。これは捧げなければ呪われるというようなことではなく、神の前の信仰がなければ成しえないことだからです。ですから神様は信仰を持って試してみよと私たちに語られるのです。

2.神は心を見られる。(ルカ21章1~4節)
レプタ銅貨たった2枚を捧げた貧しいやもめをイエス様は称賛されました。献金は多い少ないではありません。それを進んで喜んで捧げているかどうかなのです。「いやいやながらでなく」捧げる者に「あらゆる恵みをあふれるばかり与え」てくださる方だからです。(第二コリント9章7・8節)

3.神様は見捨てない。(創世記28章13~15節)
神様は信仰を持って近づくものを決して見捨てません。必ず祝福してくださり、み言葉を成就させてくださるのです。そして、み言葉を読むときに、この中に豊かな祝福があることを知ることができるようになるのです。

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