いつでも祈るべきであり、失望してはならない(ルカの福音書18:1~8)

 イエス様は、人々に神の国の福音を語られました。イエス様が行くところには癒しがあり、解放があり、喜びがあり、愛によって変えられていく人があり、イエス様といると神の国を味わうことが出来たのです。しかし、霊的に目が開かれていないパリサイ人は、イエス様に「神の国はいつ来るのか」と質問しました。そこでイエス様は「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」と言われ、そして、ご自分が苦しみに会うこと、また昇天について、天からやがで来られ、その時に正しい裁きがなされることを話されました。その後の「不正な裁判官」の例えです。イエス様は「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」ということを弟子たちに伝えました。それは「わたしは必ず戻ってくる。あなたがたがわたしの為にどんなことを言われても、どのように扱われても、失望してはならない。」という意味を込めてでした。
 私たちは時に、祈っても手ごたえがないと落胆し、いつまで経っても状況が変わらないと気を落とし、何も出来ない自分に失望します。しかし、イエス様は答えられることに期待するのではなく、答えを持っておられる神様ご自身に希望をおくようにと言われます。
 この神様を恐れず、人を人とも思わない裁判官は、やもめの訴えを聞こうともしませんでした。やもめは自分を正しく裁くよう何度も訴えました。この世の中では、真の神様を知らないゆえ、正しさの基準が全くずれています。ですから、クリスチャンが聖書に従って正しいことを行っても、不当な扱いを受けることが多々あるのが現状です。サタンは失望を持ってきて私たちを悩まそうとします。「祈っても聞かれないじゃないか」「神様のことばはいつ成就するのだ」と(第二ペテロ3:3~4)しかし、騙されてはいけません。ノアは正しい人で神様のことばに忠実でした。神様が、洪水でこの罪にまみれた地を滅ぼすと言われた時、ノアは箱舟をつくり始めました。周りの人々は彼を馬鹿にしたでしょう。雨も降っていないのに何をしているんだ、本当に神様がそんなことを言ったのか、と。しかし、神様の時に洪水によって地は滅び、ノアとその家族だけが助かりました。
 やめもは、諦めない心を持っていました。その心が不正な裁判官をも動かしたのです。イエス様は「ましてや夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」と言われます。諦めない祈りは、開かない扉を開くことが出来ます。ヤベツは不幸な境遇にいましたが、祈りによって地境を広げ、祝福を受けることが出来ました。私たちが、神様に信頼し祈り続ける時、神様は必ず私たちと共にいて下さることを示して下さいます。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ33:3)
 イエス様が来られらた時、はたして信仰が見られるか?私たちは、しっかりと聖霊と愛に満たされ、やがて来られるイエス様に希望を持ちましょう。

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