召天者記念礼拝

高森博介長老牧師

 私たちは、命の源である主イエス様に賛美を捧げます。先に召された方々、ついこの間まで元気に過ごされていたのに、今は天で主と共にいます。私たちがこの地上で過ごす時間は限られており、確実に「死」はやってきます。「死後」私たちはどうなるのでしょう。その疑問の答えを得るために、哲学が生まれ、そして宗教が生まれました。しかし、これだ!という答えを見出せないでいるのです。
人類の誕生について、そして死について疑問が沢山あります。人は何のために生まれ、何のために生き、どこに向かっているのか。多くの人々が答えを探しました。ある宗教家が、もう一人の宗教家に「本当に天国と地獄はあるのだろうか。私は天国に入れるのだろうか。」と言いました。するとその宗教家は、「あると思えばある、ないと思えばない。だから、あると思え!!」と答えたそうです。
 しかし、聖書には、はっきりと天国と地獄があるということが書かれてあります。そして、人は何のために生まれ、何のために生きるのか、どこに行くのかを明確に記しています。だから、どのように生きるのかがはっきりします。私たちが聖書のことばを信じて、受け入れるなら、霊の目が開かれ、悟りが与えられ、自分の人生を確信をもって歩むことが出来ます。「死」は、人が解決出来るものではありません。しかし、私たちを造られた神様なら解決することが出来るのです。罪の束縛から解放して下さる方がおられます。それが、神の姿を捨てて、天から降りて来られたイエス・キリストです。この方は、暗闇(失望、落胆、挫折、不安、恐れ)を照らす真の光です。「死」は罪の結果与えられたものです。罪とは創造者なる神様を認めず、自分勝手に歩むことです。人間が造られた時、神様は人を永遠に生きる存在としてお造りになりました。しかし罪が入り、人は死ぬ者となったのです。イエス様は、私たちを罪の束縛から解放し、たとえ肉体が滅んでも、その霊が天国で永遠に生きることが出来るようにして下さいました。イエス様が私たちのために十字架にかかり、罪の罰を受けて下さったと信じるだけで、私たちは罪の赦しをいただき、永遠のいのちが与えられるのです。
 罪の生活は「的外れ」な生活です。幸せになりたいのに、することなすことが的を射てないので幸せをつかむことが出来ません。しかし、イエス様を信じ罪が取り除かれた人は、しっかりと的を射た生活をすることが出来ます。それは、自分が何のために生まれたのか、何のために生きるか、人生のゴールはどこなのか確信して歩む生活です。
 イエス様は、私たちの人生を照らす希望の光です。神様は、傷ついてどうすることも出来ない弱い者を選び、その者の心を照らし、新しく造り変えて神様の器として用いて下さいます。先に召された方々も、この地上で歩んでいる時から主は共におられ、愛されました。様々な経験をし、色々な道を通されました。しかし、その中で恵みを知り、感謝しつつ天の神様のもとへ帰られました。「苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50:15)主は、この地上だけではなく、私たちが肉体を脱ぎ捨てたあとも、永遠に共にいて下さるお方です。

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