「はからずも」は、神様の時 ルツ記2章3節

富高尚師

 ルツ記は、モアブの地に移住したエリメレク一族の最悪の状況から始まります。ナオミは、夫と二人の息子を亡くし、ルツは夫を亡くすというどん底の状況です。しかし、ルツとボアズの出会いによって状況は一変し、ルツの子オベデからエッサイが生まれ、ダビデが生まれ、イエス・キリストへと系図が続いていきます。ナオミと一緒にベツレヘムに来たルツが、生活のために落穂を拾いにいった畑が、たまたまボアズのものだったのですが、聖書は、そのルツとボアズの出会いを「はからずも」と記しています。
 しかし、二人の出会いの背後には、神様の確かな導きがあったことは間違いありません。「はからずも」(ミクレー)という言葉は、伝道者の書に7回も使われており、すべてのことが神様の御手の中にあることと関連付けて用いられているからです。
 また、夫を亡くして、生まれ故郷を離れてまでも、ルツがナオミから離れずついてきたことは、その後のルツの生涯を大きく変えました。ナオミがベツレヘムへ戻ると決めた時、弟嫁のオルパはナオミと口づけして別れますが、ルツはナオミにすがりついて離れませんでした。この「すがりつく」という言葉も特別な言葉で「ぴったりとついて離れない」「ひとつとなる」という意味です。これは、創世記にアダムとエバが結ばれて、「ふたりは一体となる。」(創世記2:24)と書かれた箇所と同じ言葉が使われています。
 ナオミの計らいによって、ルツはボアズと結婚するように導かれますが、その態度にも神様の御手を動かす秘訣を見ることができます。ルツは異邦人(モアブ人)であり、再婚でもあり、年齢を考えても、この時、ボアズは80歳くらい、ルツは40歳くらいではなかったかと思われます。しかし、ルツは姑であるナオミの言うことを素直に聞き入れ、「私におっしゃることはみないたします。」(ルツ3:5)と、ナオミの命じたすべてを実行しました。この謙遜な態度には、イエス様の母マリアと同じ姿勢を見ることができます。(ルカ1:38)
 ボアズとは、「はからずも」という、たまたま偶然の出会いでしたが、ルツの忠実で謙遜な態度が、後にメシアの誕生という神様の壮大なご計画の実現へと至らせたのです。
 私たちの日常の生活の中には、多くの「はからずも」という、人間の目には、「たまたま」や「偶然」と思えるような出来事が起こります。しかし、その背後には、祝福に満ちた、神様の確かなご計画あります。そのご計画を実現へと至らせるために、神様のみことばに、謙遜で、忠実であり続けましょう。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。