神様のなさること(ルカの福音書2章20節)

 私たちの考えとは違う方法。それが神様のなさることです。
 どうして処女マリヤから子供が生まれるのでしょう。十字架について死なれた方がどうして救い主なのでしょう。どうして死んだ者がよみがえるのでしょう。
 多くの方々は「だから信じられない」と言うのです。聖書は、神様よりの啓示の言葉です。この啓示の言葉に聖霊の光が当たる時、真理として悟ることが出来ます。
「神にとって、不可能な事は一つもありません。」(ルカ1:37)
 神様はその一人子イエス様をこの地上に救い主として送って下さいました。
 御子イエス様の誕生を一番最初に知ったのは、野宿で夜番をしていた羊飼いたちでした。神様は、この世の権力者や、富んでいる人や、宗教家のもとには現れないで、貧しい羊飼いのもと来て下さいました。 そして「今、わたしは、この民全体のための、素晴らしい喜びを知らせに来たのです。今日、ダビデの町であなた方のために救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。あなた方は、布にくるまって、飼い葉桶に寝ているみどりごを見つけます。これがあなたのためえの印です。」(12節)と言われました。
 その後に、御使いと一緒に天の軍勢が現れ、神を讃美したのです。これは、驚くべき事です。
 羊飼い達は、「ベツレヘムに行ってこの事を見てこよう。」と互いに言い合い、出かけて行き、「この幼子について告げられたことを知らせた。」のです。そこで「聞いた人は驚いた。」とあります。(18節)
羊飼い達は、全て御使いが言った通りだったので神様を崇め讃美しながら帰って行ったのでした。(20節)
 救い主は、王の宮殿の豪華なベッドでも無く絹の着物にでもなく、「飼い葉桶に、布にくるまり休んでいた。」(16節)と書かれてあります。人々が「どうして!?」と思うこと。これがまさに神様のなさることです。
私たちが、神様のお言葉に従う時、神様の御言葉の真実を確認することが出来ます。これが神様が与えて下さる「信仰」です。
この救い主の御降誕は、イザヤ7章1節の預言の成就です。イエス様の肉においての父ヨセフは、大工としてナザレに住んでいました。その時、ローマ皇帝アウグストの勅令により人口調査の登録のために故郷のダビデの町ベツレヘムへ帰らなければならなかったのです。ついにマリヤは月が満ち宿屋を捜しましたが見つからず、イエス様の誕生は馬小屋で起こりました。しかし、これは神の言葉の成就でした。
 神様の言葉が愚かに聞こえても、理性に反するような事でも、神様の言葉はいつも真実なのです。「どうしてこのようなことが!」「信じられない!」これこそが、全能なる神のなさることなのです。

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