「神のみことばを大胆に語る」

永井信義師

テキスト:使徒4章23~31節
① 祈る
当時のユダヤ人やユダヤ教の指導者たちは、イエス様の弟子たちを迫害しました。弟子たちは「みな心を一つにして」(4:24)神様に声を上げ祈りました。「心を一つに」してとは「同じ情熱をもって」という意味です(榊原康夫)。また、問題の解決を祈るのではなく、問題を乗り越えていくことができるように祈ったのです。問題の中にあっても大胆に生きることができるのがキリスト教信仰です。そして、この箇所はライフスタイルを合わせることを教えているのではなく(4:32)、同じイエス・キリストを信じているという点で一つになることを教えています。(エペソ4:3、ピリピ2:2)祈りは、神様とのコミュニケーションです。私たちが願うだけではなく、聖書のみことばを通して神様は語られ、イエス・キリストの御名を通して祈るときに、神様は答えて下さいます。なぜなら、神様は良いお方だからです。祈りは、聖書に記されている祈りを真似することで学ぶことができます。ヒゼキヤ王(Ⅱ列19:15~19)の祈りは使徒4章の祈りとよく似ています。自分の考えで祈っているとわがままな祈りになりがちです。詩篇などは祈りについて学ぶことができる箇所です。私たちは絶えず(Ⅰテサ5:17)、目を覚まして(コロサイ4:2)祈る必要があるのです。
②  満たされる
イエス様が「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:22)と言われました。そして、弟子たちみなが集まって共に祈っていると、「みなが聖霊に満たされ」(使徒2:4)たのです。パウロもエペソ人への手紙5章18節で「御霊に満たされなさい」と言っています。そして、祈る時に私たちは聖霊に満たされるのです。
③  語る
満たされた弟子たちは出て行って語りだしました(マルコ16:20)。「語る」とは分かち合うこと、証しし、神様の救い福音をシェアすることです。弟子たちは「主イエスの復活を非常に力強く証し」しました(使徒4:33)。イエス様自身も「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。」(ルカ4:43)と語られています。イエス様のこの思いを共有することがクリスチャンの歩みを集約するものなのです。どんな場合にでも、神様に「祈り、満たされ、語る」。それを継続していき、心を注ぎ出して神様に祈るときに、神様は私たちを用いることができるのです。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」第二テモテへの手紙4章2節

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