神様に喜ばれる生き方 ローマ人への手紙 12章1~2節

富高尚師

 ローマ人への手紙12章は「ですから」という言葉で始まりますが、それまでにパウロは私たちがどのようにして救われたのかを書いてきました。それは、「信仰」による救いです。私たちは、イエス様の十字架によって無条件にただ信じるだけで救われたのです。(ローマ10:9~10)「ですから」私たちも主のために自分を捧げ、主に喜ばれる生活をするようにと勧めています。自分の喜びや満足のために生きるのではなく、私たちを愛し、ご自分のいのちを捨ててくださった方のために生きることが私たちにふさわしい礼拝だと教えています。ただ、日曜日の朝に教会に来ることだけが礼拝ではありません。パウロは、私たちのからだすべてを神様を喜ばせるために捧げなさいと勧めているのです。
 では、そのためにはどうすればよいのでしょうか。次にパウロが教えているのは、この世と調子を合わせてはいけないということです。「この世」とは、神様を無視し、神様に背いて、自己中心ですべての基準が「自分」という世界です。また、同じ考え同じ行動をすることが良いことで、人と違ったことや考えをすることが悪いことのように思わせます。このような「世」の流れに逆らって生きることは、そこに神の「いのち」がなければ容易なことではありません。
 ですからパウロは、「心を新たにする」ことで、「自分を変えていただきなさい。」と教えています。心を新たにするとは、思いや思考を「この世」の基準ではなく、神様のことば「聖書」を基準とすることです。自分がどう思うかではなく、神様はどのように思い、考えておられるのかを知り、それを自分の思いとし、考えとすることです。自分で自分を変えることは並大抵のことではありません。でも、聖書を通して、神様の考えを知り、それを自分の思い、考えとするとき、神様は私たちを変えて下さるのです。
 私たちは心を新たにしなければ、自分を変えていただくことはできません。自分で自分のことを「何もできない、つまらない存在」だと思ったままで、いくら神様に自分を変えて下さいと祈り願っても、神様は私たちを変えることはできません。でも、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43:4)という神様の言葉を信じ、それを自分の思いとするなら、何にも代えがたい喜びと平安で心が満たされ、私たちは新しく作り変えられるのです。
 あたなたの障害や病気、生まれた環境や自分ではどうすることもできない問題があなたを不幸にしているのではありません。そのような様々な「この世」の負の価値観があなたを不幸にするのです。私たちは「この世」の基準によって生きるのではなく、心を新たにし、神様のみこころに従って歩みましょう。それが、神に喜ばれる生き方であり、私たちにふさわしい「礼拝」なのです。

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