「狭い門から入るように努めなさい。」(ルカの福音書13:18~24)

 イエス様は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことは出来ません。」(ヨハネの福音書14:6)と語られました。イエス様の十字架と復活を信じる信仰だけが、私たちの罪を除き、きよい神の子として天国の門をくぐることが許されます。
 更に、イエス様はご自身のことを「わたしは門です。誰でもわたしを通って入るなら救われます。」(ヨハネの福音書10:9)とも言われました。
 イエス様ご自身が「門」だと言われ、それは「狭い門」と同じ意味を持ちます。狭い門は、広い門と比べたら誰も気付かない、見向きもしないような門です。しかし、この「イエス・キリスト」という「門」を通してでなければ、だれひとり天国へ行くことは出来ません。しかし、信じる者は誰でも永遠のいのちをいただく、という素晴らしい一方的な恵みに預かることが出来るのです。
 今から約2000年前、当時のユダヤ人は「イエス・キリスト」という天国の門を拒みました。彼らは御国を求めていたはずなのに、御国の門を見失ってしまったのです。そして、彼らが受け入れる日まで、その門は異邦人の方に向けられました。聖書には、神の国はからし種のようだと書かれてあります(ルカの福音書13:18,19)。初めは小さな小さな、落ちていても誰も気づかない、見向きもされないものですが、種が成長すると木になり空の鳥が枝に巣を作るようになるのです。そのように、私たちがイエス様を信じ、福音宣教に励む時に、とても厳しい状況を感じる時があります。日本において、クリスチャンは人口の1%に満たないと言われています。学校に行っても、職場に行っても、イエス様を信じている人が自分しかいない時、あなたの内には確実に神の国はあるのだけれども、非常に小さく感じる時があるのです。しかし、イエス様は言われます。「狭い門から入るように努めなさい。」と。
 「努めなさい。」をへブル語で見ると、「雄々しくあれ。」という意味になります。ヨシュアが約束の地に入る前に、神様によって励まされた「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいるのだから。」(ヨシュア記1:9)という御言葉と同じ「雄々しくあれ。」です。ルカの福音書12:32では「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」と語られています。
 「狭い門」から入ること、また「狭い門」を伝えることは時に恐れとなって私たちを不安にさせます。しかし、恐れてはなりません。今はからし種のように小さく見える神の国も、私たちが福音を伝え続けるなら、確実に成長し、そしてやがてイエス様が来られる日には、全地の王であるイエス様が統治される、御国の完成を見ることが出来る、これが大きな希望です。

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