ここに愛がある

高森基信師

テキスト:第一ヨハネ4章12節
「いまだかつて神を見たものはいません。」とあるように、イエス様に出会ったヨハネでも神様を見ることができていないと言っています。たしかに、神様は目に見える方ではありません。しかし、私たちが互いに愛し合うのなら、神様が私たちの内にとどまってくださるのです。
 ギリシャ語で「愛」はストルゲ―(肉親愛)、フィリア(友愛)、エロス(恋愛)、アガペー(神的愛)の4つに分類されています。聖書の中で訳され、使われているのはフィリア(マタイ10:37)とアガペーのみです。
 聖書の「愛」のへブル語訳ではアハバー(ギ:アガペと訳される)とヘセドゥで、アハバーの意味は「選びの愛」です。私たちが何かしたからという条件付きで愛されるのではなく、一方的な神様の選び、無条件の愛です。アガペーの使われ方は、人から人(マタイ5:43、ヨハネ13:34)、
人から神(マタイ22:37)、人からキリスト(ヨハネ8:42)、神から人(ヨハネ3:16)、神からキリスト(ヨハネ3:35)、キリストから人(ロマ8:35~37)、キリストから神(ヨハネ14:30~31)で、人、神、キリストの間すべてに使われています。愛は律法を全うするのです。(マタイ22:37~40)
 神の愛が私たちの内に全うするのであれば、それは律法を全うしているのです。天地創造の初めの愛は「アガペー」だけです。罪の結果、ギリシャ語で表現された3つ(ストルゲー、フィリア、エロス)が出てきたのです。ある神学者はこれら3つを「邪悪なもの」と表現しています。キリストの愛を知った私たちは、アガペーの愛でのみ生きる者とされているのです。それは積極的な愛であり(マタイ7:12、エペソ5:22~33)、見返りを求めない行いを伴うものです(ヤコブ2:14、マタイ6:3)。愛は恐れを締め出す 
 詳訳聖書で「神は私たちの内にとどまり」は「私たちの内に住まわれる」と訳されています。私たちが家に住むときに、家を掃除したり、自分の過ごしやすい環境を作り出すように、神様も私たちの内に住んで下さる時に、聖霊によって聖めてくださるのです。そこには悪い者の住む余地はありません。互いに愛し合うならば、神は私たちの心から恐れを締め出し、大胆に力強く生きる者へと変えてくださるのです。(Ⅰヨハネ4:18)

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