喜んでイエス様を迎える(ルカの福音書19:1~10)

富高美和師

 イエス様がエリコの町を通る中で、ザアカイという取税人の頭と出会う、有名な箇所です。この出会いを通して、どのようにして人々の人生が変えられていくのかをみることが出来ます。
 イエス様は、天の祝福を持って地上に降りて来て下さいました。ですから、イエス様と共にいる時には、癒しがあり、解放があり、傷ついた人々が神様の愛を知って素晴らしく変えられていきました。天の御国の祝福を、人々は体験することが出来たのです。ですから、イエス様の周りには、いつも群衆が取り巻いていました。ザアカイは、イエス様がエリコを通られるということを噂で聞いたのでしょう。「イエス様がどんな方か見ようとして」と3節に書かれてあります。ところが背が低かったので、群衆のために見ることが出来ず、今度は先回りをして「イエス様を見ようとして」いちじく桑の木に登った、と4節に書かれてあります。これは、単に興味で見ようとしたのではなく、イエス様が、失われた者を捜された(10節)ように、熱心に必死になってイエス様を捜したのが分かります。彼が探し求めたので、イエス様と出会うことが出来ました(エレミヤ29:11~14)。
 では何故、ザアカイはそこまでしてイエス様を探し求めたのでしょうか。彼は、お金持ちで地位もあり、召使も沢山いて満ち足りていたはずです。ところが、彼のむなしい心はどのような物でも満たすことは出来なかったのです。
ザアカイの名前は「きよい、正しい、義人」という意味があります。しかし、彼がイエス様と出会い、変えられた後に自分がしていたことを告白していますが、彼は「8貧しい人々からも、お金を脅し取っていた」のです。彼は、本当に冷血であり、自分の欲のために人を不幸にしても何も感じないような人間でした。ですから、彼はあらゆる人々に憎まれ、「正しい」と尊敬されることもなく、「7罪人」と呼ばれていました。そこにイエス様が近づいて来られ、「5ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と声をかけられました。ザアカイは、はじめて「ザアカイ(きよい者)」と愛を持って自分の名前を呼んで下さる方に出会ったのです。イエス様は「泊まることにしてある。」言われました。これは特別な言葉で、イエス様の方が救いの御手を伸べて下さったことが分かります。神様との断絶された関係は、人間の努力ではどうすることも出来ません。神様が手を差し伸べて下さらなければ、神様との関係を取り戻すことは出来ないのです。その差し伸べられた手が「イエス様の十字架と復活」です。イエス様は正しい人を招くためではなく、罪人を救うために来られました(ルカ5:31,32)。ザアカイは、喜んでイエス様をお迎えしました。彼がイエス様を迎えたことで、彼の人生は全く新しいものとなりました。彼は、イエス様と共に過ごすことで、天国を体験し、自分の価値を取り戻すことが出来ました。彼は、癒され、解放され、愛に満たされ、自由を得たのです。そして自分がアブラハムの子として、祝福を流す者であったのに、奪い取るようなことをしていたことを心から悔い改め、主の喜びのために生きることを決心します。イエス様との出会いが、彼の人生を全く新しくして下さったのです。日々、聖霊様を歓迎しましょう。

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