勝利と希望 ヨハネの福音書 14章1~3節

富高尚師

 イエス様を信じて救われた私たちは、たくさんの恵みと祝福をいただいています。罪が赦され、神様の前に聖い者とされ、いつもイエス様が共にいてくださり、聖霊様が私たちの内に住まわれ、いつでも神様と交わることができる恵みなど、数えればきりがありません。これらの恵みと祝福と共に、さらに私たちに与えられた約束は「勝利」と「希望」です。
 聖書には、たくさん勝利と希望という言葉が出てきますが、聖書の言う勝利は、死に対する勝利です。また、希望とは復活の希望です。私たちは皆、栄光のからだに変えられて、必ず天国へ入ることが約束されているという希望です。この地上の様々な問題や人に対しての勝利が勝利ではなく、この地上での目に見える希望が希望ではありません。
 イエス様は過ぎ越しの食事の後、弟子たちにご自分がもうしばらくするといなくなるが、あなたがたは「わたしが行くところに来ることができません。」(ヨハネ13:33)と言われました。弟子たちの動揺は相当なものだったでしょう。ですから、イエス様は「あなたがたは心を騒がせてはなりません。」と言われたのです。(ヨハネ14:1)そのような弟子たちに対して、イエス様は、確かな約束のことばを語ってくださいました。それが、「また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」(ヨハネ14:3)という言葉です。
 イエス様は、私たちの罪の贖いのために人として来てくださいました。十字架の贖いの後、葬られましたが、三日目によみがえり、40日間弟子たちに現れた後、天に帰られました。しかし、「また来て」私たちを迎えに来られるのです。これは「再臨」と言われますが、二千年前に父なる神様が、私たち人類の救いのためにイエス様をこの地上に送ってくださったように(初臨)、必ず イエス様がもう一度来て下さることは疑いようがありません。なぜなら、イエス様ご自身が「また来る」とおっしゃったからです。そして、この約束こそ、「希望」であり「祝福に満ちた望み」なのです。
 イエス様は死を打ち破り、栄光のからだによみがえられたのです。私たちもイエス様が再び来られるとき、イエス様と同じ栄光のからだに変えられます。(Ⅰコリント15:52)パウロはそのことをテサロニケの教会やコリントの教会へ手紙に書いています。これらの手紙を読むとき、パウロの教えの中心は「再臨」であり、再び来られるイエス様を熱心に求めることだっとことがわかります。また、死に打ち勝つ勝利と復活の希望が聖書の「奥義」だとも言っています。(Ⅰコリント15:51)
 また、パウロはどんな迫害の中にあっても、間違いなく死に対する勝利と復活の希望を確信していたに違いありません。死に対する勝利は私たちを「圧倒的な勝利者」(ローマ8:37)とします。また、復活の希望は、私たちを決して失望させることはありません。(ローマ5:5)それは、信仰歴が浅いとか、歳が幼いとかは関係ありません。救われて、イエス様が「また来て」くださることを信じる者すべてに与えられる「勝利」と「希望」なのです。

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