霊の目を開くために

(ルカの福音書24章13~32節)

富高美和師

 イエス様が復活された日。それは、弟子たちにとって激動の一日でした。マグダラのマリヤ達が、イエス様の亡骸に香油を塗ろうと墓に行くと、天使が現れ、「イエス様がよみがえられたこと、ガリラヤで会うことが出来ること、このことを弟子たちとペテロに必ず伝えること」という重大な任務が与えられました。しかし、マリヤの言葉を弟子たちは信じることが出来ませんでした。
 ちょうどその日に、二人の弟子たちがエマオという村に向っていました。彼らは、これらのことについて話し合い、論じ合っていました。何故かというと、彼らには何が起こっているのか、全く理解出来なかったからです。そこに、イエス様ご自身が近づいて来て、彼らと共に歩き始められ、声をかけられましたが、彼らはイエス様であることに気づきませんでした。その理由は、16節に「二人の目がさえぎられていて」と書かれてあります。さて、彼らは目は見えていたはずですが、何が彼らの目をさえぎり、見えなくしていたのでしょうか。それは、「そんなこと(復活)が起こるはずがない。」という「イエス様のことばを理解せず、悟らない心」「信じない心」です。箴言の4章5節には「知恵を得よ。悟りを得よ。私の口のことばからそれではならない。」とあります。
神様のことばを悟ることはとても大事なことです。彼らは、イエス様がすでに「十字架と復活」について語っておられたのに、それを悟ることが出来なかったので、これらの出来事について大変動揺し、自分たちが何をして良いか分からない状態になっていました。しかし悟る者は、イエス様と心を一つにし、神様の御計画の中にあって確かな準備をすることが出来ます。マルコの14:3~9に、聖霊様によって悟りが与えられ、自分が何をすべきかはっきり理解していた女性が登場します。彼女は、ナルドの香油が入った石膏の壺を割り、イエス様の頭から注ぎました。それは大変高価なものだったので、弟子たちは「貧しい人たちに施せば良いのに!」と憤慨しましたが、イエス様は彼女のしたことを「埋葬の準備をしてくれた」と称賛されました。彼女だけが、イエス様のプランを理解し、悟り、イエス様の御心を行ったのです。
 イエス様は、この二人の弟子たちに「心が鈍くて、預言者たちの言ったことを信じられない人たち。」と言われ、モーセやすべての預言者から始めて、ご自分について聖書全体に書かれてあることを彼らに説き明かされました。そして、彼らと共に食事をし、パンを取って神様をほめたたえ彼らに渡された時、彼らの目が開かれました。彼らは、自分が何をすべきかを理解しました。彼らはエルサレムに戻り、まだ目が開かれていない他の弟子たちにイエス様の復活を伝えました。彼らは、イエス様との交わりによって、霊が燃やされたのです。
 イエス様はその後、弟子たちに現れ「聖霊を受けるように」言われました。
聖霊が私たちに力を与え(使徒1:8)、神様のプランを悟らせ、そして何をすべきかを教えて下さいます。霊の目を開き、御心を行う者でありましょう。

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