天の御国に入る者

富高美和師

 「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることが出来ます。~」

(マタイの福音書7:24~29)

 ここに、岩の上に家を建てた賢い人と砂の上に建てた愚かな人の話が出てきます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いた時、岩の上に建てた家はしっかりとした土台の上に建てられていたので倒れることはありませんでした。しかし、砂の上に建てた家はひどい倒れ方をしたと書かれたあります。これは、原因があり、その結果このようになってしまうというお話です。
 イエス様は山の上に登られると、弟子たちと群衆の前で教え始められました。マタイの福音書5章からは「山上の垂訓」と言われ、イエス様は人々に「神の国にふさわしい生き方」を教えられました。初めは「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」と書いてあります。心の貧しい者とは、高慢もプライドも砕かれて、自分の霊的乏しさを覚え「私は弱い者です。ただ、あなただけに頼り、信頼していきます。」と告白する者です。イエス様は天国はそのような人のものだと励まして下さいました。5章から7章にわたって「地の塩、世の光~」などイエス様はこの地にあって天の御国にふさわし生き方はこのようなものですよ、と語られました。そして7章からは、大事な部分に入ります。御国にふさわしい者として生きるために必要な「良いもの」は聖霊であるということ(マタイの福音書7:7~11)。聖霊が内に宿るなら、①見た目が良い「広い門」が本物ではなく、「狭い門」こそが「いのちに至る門」であることを示して下さる、②偽預言者を見分けることが出来る、③聖霊が私たちを助け、真理を教えて「本物」と「偽物」を見分ける力を与えることが出来るのだと教えて下さっています。
 イエス様は、はっきりと「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国にはいるのではないと語っています。それはどういうことでしょうか。「『主よ、主よ』と言う者」と「主の御名を呼ぶ者」の違いは何でしょうか。イエス様はルカの福音書では「何故あなたがたはわたしを『主よ主よ』と呼びながらわたしの言うことを行わないのですか?」と言っています。ですから、「主よ、主よ」と呼びながら、その心の中心には神様のことばではなく自分がいる、聖霊様が宿っていない者は神の国に入ることは出来ないと語っています。一方、「主の御名を呼ぶ者」は、神様の御名にどのような意味があり、主権があることを知って、イエス様以外に救いはないと心から信じている人です。その人の心にはいつも神様のことばがあり、聖霊様が宿っていて神様の御心を行う力があります。「ですから」(マタイ7:24)、聖霊様がしっかりと心の中心におられ、神の御心に堅く立つ人は、どんな嵐の中にあっても、揺るぐことのない神様のことばに根を張っているので倒れることはありません。しかし、聖霊様を受け入れておらず、自分中心の生き方をしている人は、洪水が押し寄せた時にはひどい倒れ方をするのです。私たちは神様の御心を行う者(ヨハネの福音書6:28~29)、そして、どんな時もイエス様が主であると信じる者でありましょう。

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