キリストのために

富高尚師 ローマ人への手紙 14章8節
神の国と契約、そしてキリストをテーマとして聖書を読むとき、様々なことを教えられ、気づかされます。これまでとは違った聖書の読み方、信仰生活、考え方や価値観などですが、私たちは知らず知らずのうちにこの世の個人主義的な考え方や自己中心的な信仰生活に陥ってしまっていることに驚かされるのです。しかし、聖書ははっきりとすべては「キリストのために」と教えています。
「主のために生き、主のために死ぬ」というと、ある人にとっては何か原理主義的な恐ろしさを覚えるかもしれませんが、決してそうではありません。神様のご計画のゴールは「神の国」の再建です。私たち個人の救いも、十字架の御業もその通過点でしかありません。しかし、現実の見えるこの世界は、私たちの救いや十字架の御業さえ自分のため、「私のためのキリスト」だと思わせ、神様の壮大なご計画やみこころから私たちの目をそらさせているのです。そのため、信仰生活はいつも、祈りが聞かれるかどうか、願ったことがその通りに実現するかどうか、どんな病も祈れば必ず癒されるはずだ、と「私のためのキリスト」という思いや考え、自己中心的な信仰生活から抜け出すことができないのです。
もちろん、「私のため」にキリストは十字架にかかり死んでくださって、三日目によみがえってくだり、永遠のいのちを与えてくださいました。しかし、それは、私たちが「キリストの栄光のために」用いられるためです。私たちは救われて新しくされました。それは、考え方も、生き方も、価値観もすべてが「キリストのために」生きるためです。(Ⅱコリント5:17)
イエス様も十字架につけられる時が近づいたことを悟られた時、「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。」と祈られました。(ヨハネ17:1)
私たちは、イエス様と同じ考え方をし、同じ生き方をし、それが実際の生活の中で行動とならなければなりません。ご自分のいのちを与えてくださって、私たちを神の子とし、永遠のいのちを与えて下さいました。助け主として来てくださった聖霊様によって「私のためのキリスト」から「キリストの栄光のための私」へと変えていただき、神様のご計画とみこころをさらに深く悟ることができるようにしていただきましょう。

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