救われた者の喜び

富高尚師 Ⅰペテロ 1章1~9節

ペテロが書いた手紙の相手は、イスラエルを離れ、散らされて寄留しているユダヤ人クリスチャンたちです。当時は、クリスチャンに対する迫害が最も厳しい時でした。しかし、ペテロが書いているように、彼らは喜びに溢れていました。(Ⅰペテロ1:6、1:8)どうして彼らはそのような迫害の中、喜ぶことができたのでしょう。

一つには、自分たちの選びを知っていたのです。ペテロも彼らを「選ばれた人たち」と読んでいます。この世では、何か特別な能力や技術、知識や財産など選ばれるべきものを持った人たちが選ばれるのですが、神様の選びは、一方的な神様の方からの選びによるもので、私たちの側には何の資質も必要ありません。もし、条件があるとすれば、それは「神を愛する」ということだけです。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

二つ目は、キリストを信じる信仰によって、死んでいた霊が生かされ、新しく生まれさせてくださり、生ける望みを持つものとしてくださいました。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)何の希望もなく、ただ死を待つだけのむなしい人生が、新しくされたのです。まさしく、このみことばの通りのことが私たちの身に起こりました。

三つ目は、天にある資産を受け継ぐものとしてくださいました。もちろん、この地上にもたくさんの財産を持っておられる方もいるでしょうが、それらはやがて消えてなくなるものです。しかし、私たちに約束された資産とは、朽ちることも、汚れることも、消えていくこともない資産です。(Ⅰペテロ1:4)これらは、私たち救われた者のために、すでに天に蓄えられているのです。

これらの「喜び」はキリストを信じる信仰によってすべて与えられるものです。目に見える状況によって左右される、この世の喜びではありません。もちろん、この世にあって様々な試練を通らされる時、悲しみや苦しみはありますが、それらは「今しばらくの間」(Ⅰペテロ1:6)のことです。選ばれて、救われた私たちの信仰による喜びは、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価なもので、それは永遠の喜びであることを感謝しましょう。

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