何故、恐れるのか?

富高美和師(マタイの福音書14:22〜33)

イエス様は、「5つのパンと2匹の魚」の奇跡を行なった後、自分より先に弟子たちを向こう岸に渡らせました。イエス様は一晩中、父なる神様に祈り、弟子たちの乗った舟は、その間も荒波と強風で前に進めない状態になっていました。

何故、イエス様はあえて弟子たちだけで向こう岸へ渡らせたのでしょうか?それは、彼らに実施訓練を通して教えたいことがあったからです。「主は愛する者を訓練し、受け入れるすべての子にむちを加えるのだから。」(ヘブル12:5〜12)

「ヘブル人」とは「川を渡って来る者」という意味があります。アブラハムは寄留する土地でそのように自分を紹介しました。その意味の通り、後にイスラエルの民は紅海を渡り、ヨルダン川を渡って約束の地へとやって来た者でした。イスラエルの民は、約400年間奴隷であったエジプトから紅海を渡ることによって、人間の支配下から神様中心の世界に移された者達です。紅海が両サイドに分かれ、彼らは神様の御業を賛美しました。そして昼は雲の柱、夜は火の柱、神様の臨在そのものが彼らを導かれたのです。ヨルダン川を渡る際にも(ヨシュア記3:5〜17)彼らは神様が共におられる素晴らしさを体験しました。向こう岸に渡る時、どのような状況にあっても全能なる神様に信頼すれば恐れることがないことを体験しました。

夜明けが近づいた頃、イエス様は湖の上を歩いて弟子達のところに行かれました。「幽霊だ!」と恐れる弟子たちに、イエス様は「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われました。この「しっかりしなさい。」とは私たちを責めることばではなく、「私が手を握っているから、安心しなさい。」という励ましのことばです。ちょうど、ソドムの裁きを聞いて戸惑っているロトと家族を見使いが手を握って救い出したように。

ペテロは、自分にも水の上を歩かせて下さいと願いましたが、強風をみて恐ろしくなり、沈みかけたのでイエス様に助けを求めました。すると、すぐ手を伸ばし助けて下さいました。イエス様は言われました。「何故、疑うのか?」と。疑いが恐れを引き起こし、そして不信仰となることをイエス様は教えられました。イエス様がペテロと共に舟に乗ると風は止み、弟子たちは「あなたこそ神の子です。」と礼拝しました。

神の国には恐れがありません。私たちが、御国の王であるイエス様を見続けるならば、イエス様の愛が恐れを締め出し(Iヨハネ4:8)平安で満たして下さるのです。恐れは、疑いから引き起こされます。ですから、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さず、信じ続けましょう。

 

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