接ぎ木された者

富高尚師 ローマ人への手紙 11章16~18節

救いは、信仰によるのであって、行いによるのではありません。(ガラテヤ2:16)また、信仰の告白によって救いは確信となります。(ローマ10:9~10)罪が赦され、神様との関係が回復し、神の子としての特権が与えられることは、大きな恵みであり、「福音」です。

では、どうしてそのような素晴らしい神様からの救いの恵みが、私たち異邦人に及んだのでしょう。それは、神様の選びの民であるユダヤ人が、メシアとして来られたイエス様につまずいたからにほかなりません。ユダヤ人がつまずいたのには確かな神様のご計画があって、神様は異邦人が救われることによって、イスラエルにねたみを起こさせようとされたのです。(ローマ11:11)これらの神様のご計画をパウロは「奥義」であり、私たち異邦人に知らずにいてほしくないと言っています。(ローマ11:25)

その具体的な内容は、私たちは「救われた者」であると同時に「接ぎ木された者」であるということです。私たち異邦人は、野生のオリーブの木から切り取られ、栽培されたオリーブの木に接ぎ木されたのです。そして、今は、その根から豊かな養分をいただいているのです。(ローマ11:17)それだけではなく、接ぎ木された私たちを支えているのは、栽培されたオリーブの木の根なのです。私たちは、神様が愛され、特別に選ばれて育てられたオリーブの木を無視して、私たちの救いを誇ることはできないのです。

また、私たちが「接ぎ木された者」であるということは、私たちの「根」はすでに切り取られ、捨てられました。それは、古い考えやこの世の価値観、これまで受けてきた様々な悪習慣から完全に切り離されて、新しくされたということです。単に物質的なことだけでなく、霊的にも新しく造り変えられたのです。聖書の有名なみことばがそのことを語っています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)そして、このみことばを詳訳聖書で読むと、「キリストにある」とは、「キリストに接ぎ木される」と訳されています。私たちはイエス様を信じて、イエス様に接ぎ木された者です。ですから、心も身体も霊も、キリストに接ぎ木されて、すべてが新しくされたのです。ハレルヤ!

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