イエス様はあなたのすぐ側に

富高美和師(マルコ4:35〜41)

人生において、思いもよらないことが起こることがあります。事業の危機、病、痛み、関係の崩壊、愛する家族を失う、など。

イエス様に従っていた弟子たちにも、突然激しい風と波が襲ってきたのです。イエス様は、「向こう岸へ渡ろう」と言われ、弟子たちは戸惑いました。向こう岸は「異邦人の地」で、信じている神様、生活習慣、価値観も全く違う世界です。しかし、イエス様は「イスラエルの地」においても「異邦人の地」においても「御国の王」であり(実際、異邦人の地で悪霊を追い出し権威を示された)、また主が共におられることを示すために、あえて訓練として弟子たちを向こう岸へと渡らせました。奴隷生活から神の支配される約束の地に入ろうとするイスラエルの民も荒野で40年間訓練されました。

弟子たちが舟をこいで湖の真ん中ぐらいに来た時、突然激しい突風が吹いて舟が沈みそうになりました。マタイ8:24では、「すると見よ、湖は大荒れとなり」とあり、「大荒れ」を原語でみると、「地震による大きな揺れ」を意味します。ガリラヤ湖は海抜210メートル低い場所にあるので、変わった地形のゆえに突風は予想されていました。しかし、この時は、地震によって津波のような大波が舟にかぶったという状況です。ですから、もともと漁師であった弟子たちも、思いもよらない出来事に慌てふためいたのです。

弟子たちは、どうにかしてこの災難を乗り切ろうとしますが、どうにもなりません。イエス様は眠っておられたので、弟子たちにとっては、まるでイエス様がおられないかのように思ったことでしょう。(ヨブ記23:1〜9)

私たちも、突然人生の中で突風が起こった時、まるでイエス様が側にいないかのように振る舞ってしまい、苦しみ、恐れに支配されます。しかし、イエス様は、弟子たちのすぐ側におられ、眠っておられたのです。「眠っておられた」は、未完了形で書かれおり、「ずっと眠っておられた」つまり「熟睡していた」という意味です。それは、まったき平安の中にあったということであり、神の国こそ全知全能なる神様のまったき平安で満たされているということを示しているのではないでしょうか。ダビデは、詩篇3:5〜8で告白しています。「眠り、また目を覚ます」と。この「眠り」が 深い眠り、熟睡を意味し、どのような敵が襲ってきても、神様にだけに全信頼をよせる姿を現しています。

「どうして怖がるのか?まだ信仰がないのか」と言われ、御国の王であるイエス様の一言で嵐と波は静まりました。

私達は、救われた時「自分中心」から「神中心」のまったく違う世界へと導かれました。地上での歩みは、御国の王であるイエス様の主権を認め、聖霊様と共に歩む訓練です。イエス様が「向こう岸に渡ろう」と言ったら必ず行くことが出来ます。共におられる主に心から信頼して前進していきましょう。

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