自分を捨てて神の国に生きる者となる

富高 尚師  タイの福音書16章24節

イエス様が弟子たちに語られた有名な言葉です。マルコの福音書を見ると弟子たちだけでなく群衆にも語られています。(マルコ8:34)ですから、単に献身した者だけに語られたのではありません。イエス様を信じて従おうと思う者すべてに語られたのです。また、この言葉を語られる前にイエス様はペテロを叱責されています。それは、イエス様がご自分がキリストであることを示し始め、間もなく十字架にかけられることを話された後でした。ペテロを厳しく叱責されたのは、ペテロが、「神のことを思わないで、人のことを思っていた」からでした。(マタイ:16:23)ですから、自分を捨てる事なしに、イエス様に従い、神の国に生きる者となることはできません。

イエス様に従い、神の国に生きる者となるための第一歩は、まず、イエス様に従いたいと思うことです。イエス様は、「わたしについて来たいと思うなら」と条件付きで語られています。無理矢理、私たちを奴隷のように引っ張っていくことはなさいません。イエス様は私たちの自由意志を尊重されます。しかし、私たちの心は、イエス様に従いたいと言う思いと、それができない現実の中で時に苦しい思いにさせられてしまいます。

そこで、次に大切なことは、「古い自分」を捨てることです。私たちはイエス様を信じて新しくされた者です。しかし、古い自分、肉の思いが私たちがイエス様に従うことを妨げるのです。それは、この世の考えや価値観によって、自己中心的な生き方をすることです。でも、私たちの古い自分はキリストと共に十字架につけられました。私たちはキリストによって全く新しく造り変えられたのです。(ローマ6:4〜8)

また、自分を捨て、イエス様に従うために、三つ目に大切なことは、「忙しさを捨てる」ことです。それは、仕事を辞めるとか、家事を放棄すると言うことではありません。どんなに忙しい中でも、主との時間を持つことです。手を休め、いつも頭の中にある思い煩いや考え事を止めて、主の前に静まることです。忙しいとは「心を亡くす」と書きます。忙しさは、主との交わりや関係を失わせ、正しい判断や選択をできなくさせるのです。(ルカ10:42)

本来、私たちは神様のために、神様と共に生きる者として造られました。自分を救おうと、自分の思い通りに生き、自分の欲しいものを手に入れ、すべてのものを犠牲にしても、神の国に生きる者に与えられる義と平和と喜びを得ることはできません。それらを得るためには、まず自分を捨てて、イエス様に従っていかなければならないのです。自分を捨ててイエス様に従うとき、神様が造られた本来の姿に戻ることができます。自分のためではなくキリストのために自分を捨てて、主に従って参りましょう。

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