祈りは仕えること

富高美和師 (ヤコブ書5:16)

「正しい人の祈りは働くと大きな力があります。」

今回、ラブソナタ山形に参加させていただき、恵みを受けて帰って来ました。コロナ禍の中、諦めることなく福音宣教の働きを前進させることが出来た、その実現が韓国の教会と、日本の教会、そして山形ラブソナタ実行委員会の先生方の信仰と熱い祈りの故であることを体験した数日でした。「正しい人の祈りは働くと大きな力がある。」本当にその通りでした。このラブソナタを通して多くの方々が救いの恵みに預かり、献身の決心をされました。

「正しい人」とはどんな人でしょうか。ノアは「正しい人」(創世記6:9)でした。何が正しいと認められたのか。それは神様と心を一つにして共に歩んだことでした「ノアは主の心にかなっていた。」(創世記9:8)

主と心を一つにし、そして主の心にかなう願いをするなら、主は喜んで偉大な御手を動かして下さるのです。使徒たちは、病を癒やし、悪霊を追い出し、多くの奇跡を行いました。なんとエリヤは3年半、地に雨を降らせなかったのです。しかし、これら全ては、人間の思いから出たことではなく、神様から出たことです。彼らは、祈りによって神様の御心を行ったのです。

祈りは私たちクリスチャンにとって欠かせないものです。祈りとは「霊的呼吸」とも言われます。人間が呼吸をやめてしまうと死んでしまうように、私たちも祈りをやめると内なる霊が死んだも同然になるのです。

また、祈りは「神様との会話」とも言われます。私たちが一方的に話すのでは、「会話」とは言えません。父なる神様がご自分の御心を語り、私たちはそれに応答します。時に、私たちが願い、それに神様が答えて下さいます。父なる神様は、私たちとの親しい交流を愛し、大切にされます。何故なら交わる時に、「神様がどのようなお方か」、「どれくらい私たちを愛しておられるか」、また「神様のご計画がどんなに素晴らしいか」を知ることが出来るからです。(ホセア6:3)(第一テサロニケ5:16〜18)イエス様も祈り、使徒たちも祈りました。祈って祈って、神様の御心を行い、福音を前進させて行ったのです。

祈りは、人々と主に仕えることです。祈りは、神様の御心がなるように求めることです。「御国が来ますように。御心が行われますように。」(マタイ6:10〜)

人々に仕えたい、神様に仕えたいと思うなら、まず祈ることです。そうするならば、神様が御心を教えて下さり、御心を行う力を聖霊様が与えて下さいます。

私たちは、神様の命令を守り、忠実でありたいがゆえに祈るのです。ある時は、とりなしの祈りへと導かれることがあるでしょう。それは神様の御心です。

祈りを通して神様に仕えることを目標にするなら、神様は御手を動かして下さり、信仰による祈りが大きな奇跡を見るようになります。祈りで仕えましょう。

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