イエス様とつながる

富高美和師 (マタイの福音書6:25〜34)    

マタイの福音書6章には、神様と私との関係について書かれてあります。私たちクリスチャンは、イエス様の十字架の贖いによって神様との関係が回復されました。日々、神様との交わりと楽しみ、この関係が永遠に続くと信じて歩んでいます。しかし25節からは、神様と私との間に「生活の心配」が入ると、「思い煩い」が「不信仰」になり、神様との関係が弱まってしまう危険性がある、だから「心配することはやめなさい。」と語っています。「食べ物のこと」「また着る物のこと」など、人は生きていく上での安全や保証を求めます。しかし神様は、それらの保証をお金に求めたり、人に求めたり、人間的な物に頼ることを喜ばれません。

ダニエルは、何も心配しませんでした(ダニエル書1章)。彼は異国の地の王に仕える身となりました。王は彼を気に入り、王と同じご馳走を食べさせるよう命じました。しかし、ダニエルは神様の目に汚れた物は食べることは出来ないとして、世話役に野菜だけを与えるようお願いしました。世話役は王を恐れましたが、ダニエルには何も恐れはありませんでした。ただ神様が命じられたことに忠実に従ったのです。世話役は彼の申し入れを聞き入れ10日間試しましたが、彼はご馳走を食べていた者たちよりも顔色が良く、からだつきも良かったのです。ダニエルは、人の目や力を恐れるよりも、神様とつながり続けることを選びました。

エジプトを脱出したイスラエルの民が最初に経験したのは、まさに衣食住の心配でした。奴隷生活から解放されて彼らは喜び踊りました。しかし、3日しかたっていないのに、水がないと不平不満を言い始めました。彼らは荒野の地で、「すべての保証は神様の命令に従う時に与えられる」ということを体験する必要がありました。水が無くなった時、主が命じた通りモーセが岩を杖で打つと、岩から水が流れ出て、約200万の人々の渇いた喉を潤したのです。(出エジプト17:1〜7)イスラエルの民は、 約束の地に入るにあたって、神様に対する絶対的な信頼、「信仰」が養われれなければなりませんでした。「私は、40年の間、荒野であなたを導いたが、あなたがたが身につけている上着はすり切れず、その履物もすり切れなかった。」(申命記29:5)神様とつながり続けることがどれほど素晴らしいことかをイスラエルの民に教え続けられました。

イエス様は、空の鳥よりも、野の花よりも価値のある者だから、神様が私たちに良くして下さらないはずはない。だから心配しなくてもよいと言われています。イエス様は、「心配」から抜け出す方法も教えて下さっています。それは、

「神の国とその義とをまず第一に求める」(マタイ6:33)ことです。神の国は神様が支配されるところです。私たちの心を聖霊なる神様で満たし、そして神の義、つまり神様の御心を求めるということです。そうするならば、聖霊がいつも私たちの心を平安で満たし、祝福して下さるのです。「そうすれば、これらのものはすべて与えられる。」心配せず、何よりも神様との関係を強めていきましょう。この方だけが、私たちを永遠の祝福である御国へと導いて下さるのです。

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