喜びが溢れている

富高美和師 (ルカの福音書1:26〜38)

天使がマリアに現れ、こう言いました。「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられます。」

その日は、マリアにとって特別な日でもなんでもありませんでした。しかし、「おめでとう」と言われたのです。その「おめでとう」と言う天使があまりにも喜びに満ちていたので、マリアは「何がそんなに喜ぶべきことなのか」本当に戸惑ったのです。その後、救い主がマリアを通してお生まれになることを知ることになり、マリアは信仰を持って天使のことばを受け入れます。

イエス様がお生まれになると、この天使は野宿をして羊の番をしている羊飼いたちに、「見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」(ルカ2:10)と言い、そこで天の軍勢がイエス様を賛美し始めました。

何が、そんなに喜ぶべきことだったのでしょうか?

イエス様は、弟子たちに対し「天に名が書き記されていることを喜びなさい。」と言われました。そうです。天使は、マリアに「神様の一方的な愛によって、罪人が救われる道がイエス様によって開かれる!!これは、イエス様を信じる者が皆、天に名が書き記されるという民全体の喜びの知らせ!」という大きな喜びの気持ちを持って「おめでとう!」と言ったのです。それは、神様の新しい人類の救いの計画がスタートする喜びに溢れた瞬間でした。

イエス様は、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」(ルカ15:10)と言われました。そして、ご自身が正しい者を招くためではなく、罪人を招くために来たということをイエス様の地上での生活を通して現しました。罪人といつも一緒にいるイエス様に対してパリサイ人から文句が出た時、2つのたとえを話されました。一つは、いなくなった羊のために99匹の羊を野原に残してまで探した羊飼いの話。もう一つは無くなった銀貨を念入りに探す女性の話です。この2つのたとえで共通している部分は、「見つかるまで捜す」「見つかったら、周りの人々に一緒に喜んで下さいと言っている。」ところです。これらは、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、天には大きな喜びがある」ということをイエス様が教えるためにお話になったたとえです。イエス様は、一人の罪人のために、あきらめないでご自分を犠牲にされるお方です。そして、一人の人を無理矢理悔い改めさせるのではなく、立ち返るまで愛を持って待って下さるお方です。放蕩息子の話があります。このたとえ話には、自分勝手に出て行った息子、プライドが高くなかなか悔い改めようとしない息子、その息子のために忍耐を持って待つ父親の姿が映し出されています。何もかも失って情けない状態になり、「悔い改めて、父の家に帰ろう」と決心した息子を、父親は走り寄って抱きしめ、涙を流して喜びました。懲らしめのために奴隷として迎えたのではなく、最初からどんな姿で帰ってきても息子として迎えようと決めていたのです。息子はそんな父の愛に触れ、本当の喜びが沸き上がって来たのです。父親は人々を集め、「共に喜んでくれ。いなくなっていた息子が帰って来た。」と宴会を開きました。天の神様も、このように罪人の私たちを子として受け入れて下さいました。

父の家には喜びが溢れています。そして、私たちが父の愛に満たされた時、私たちの内から喜びが溢れてくるのです。

天使の「おめでとう」には、溢れる喜びが込められています。感謝しましょう。

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